いっちゃん旅行記
関西一人旅編

2001年08月19日(日)
 旅行初日。目覚めたのは、朝の7時半である。本来なら、この時間に出発しようと思っていたのに、その時間にようやく起きるとは。しかも、念入りに準備したはずなのに、出発の直前になって「あれも入れないと」なんて慌てる羽目になったり。やはり、久しぶりの旅行で旅をする感覚がなくなっていたようだ。
 まぁ、けっきょくティッシュペーパーを忘れたのと、あとはデジカメの充電池の充電器を忘れてしまったんだな。ここらへんから、すでにケチがつき始めていたワケだ。
 で、東京駅で深川めし弁当を買って朝食代わりにしつつ、新幹線内で仕事をしている内に新大阪に無事到着。そこから大阪駅に移動して、いよいよ旅行本番である。
 大阪駅に着いて真っ先にやったことが、荷物を預けるコインロッカー探し。ところが、日曜日ということもあるのか、どのロッカーもいっぱいで空いているものなどない。仕方なく、有人の荷物預かり所に荷物を預け、甲子園に出かけた。このとき、引換券をウエストバッグに入れたのが、新たな悲劇を生むのだが。
 とにもかくにも、甲子園に到着。「本日、外野席は無料開放となっております」とのことで、「ラッキー」と思って球場内に入った。
 俺が入ったとき、ちょうど準々決勝第2試合の青森・光星学院と滋賀・近江高校の一戦の真っ最中だった。
 しかし、ラジオや携帯テレビなどを持っていかなかったのは最大の失敗だった。分かっていたことだが、外野席からだと選手はほとんど豆粒なんだよね。しかも、ボールは点。動きはなんとか分かるが、それ以上ではない。ましてや、俺は野球には詳しくないので、「あ、打った。取った」とか「あ、抜けた」くらいしか分からなくてね(^^;;; やはり、解説がないと何がなんだかサッパリよん(^^;;;
 また、もう一つの失敗は、帽子を持っていかなかったこと。現地調達を考えていたのだが、あまりにも慌ただしくなってしまってうっかりしていた。まぁ、タオルを持っていたのでそれを被ったりして日射しをしのいだが、やはりきつかった。あとで体調を崩したことと、因果関係は否定できない。
 ちなみに、俺は肌が白くて日焼けすると真っ赤になってしまうので、強力な日焼け止めを塗って観戦していた。が、現地で慌てて塗ったため、腕時計の周りだけ塗り損ねて赤くなってしまった。それに、あとで腕時計をしていた部分と他の場所を見ると、それでも日焼けしてしまったことが分かって、甲子園の日射しの強さを実感した次第。やはり、俺には日焼け止めだね(^^;
 なお、俺は念のためにオペラグラスを持っていったのだが、これは成功。外野席からだと、ピッチャー・キャッチャー間がうまく収まり、投手の一挙手一投足がよく分かった。
 さて、テレビではない生の甲子園の雰囲気だが、やはりと言うべきか予想とはちょっと違うものだった。
 一番の驚きは、テレビでは全体が派手に盛り上がっているように見えたのに、実際に盛り上がっているのは応援団だけで、外野席の一般観客は意外なくらい大人しかったこと。プロ野球なんかだと、外野席のほうがむしろうるさかったりするけど、やっぱり高校野球は違うわね。
 もっとも、好プレイが出たりすると「オオー」と球場全体がどよめいたりして、それがなんだか面白かったのだが。
 そんなことで、俺はとりあえずビールなど飲みつつ観戦していたが、お好み焼きを頼んだときに「15分くらいかかります」と言われたのには参った。すぐに出ないものを売るなよ、とちょっと文句を言いたくなったが、これも満席の甲子園の醍醐味と思って諦めた。
 また、甲子園名物のカチワリも買ったのだが、これは非常に良くできたもので感心した。炎天下の甲子園では、水分補給や身体の冷却は欠かせない。かと言って、急に冷たい物を大量摂取すると、腹を壊してしまう。その点、氷であるカチワリなら、身体を冷やす道具として使えて、さらに適度な量の水分補給を行える。だいたい、35度くらいの気温でも、2〜7回くらいまで使えたからな。誰が考えたのか知らないが、いいモン作ったと思う。
 ただ、呆れ果てたのは、食べ物の袋や容器、ビールやジュースの缶を足下に放置して帰る人が非常に多かったこと。自分が食い散らかしたものの後始末くらい、ちゃんとやれよ。席の足下にゴミが散乱していると、座りにくくて仕方がないんだよ。あれだけ混雑している中で、ああいう自分勝手な行動をすることがどれほど迷惑か、少しは考えるべきだろう。
 しかも、子供連れの父親が、そういうことを平然とやって立ち去っていったからな。あんな親の姿を見て育ったんじゃ、ロクな子にならんと思うぞ。
 そうそう、もう1つ「へぇ〜」と思ったのは、各種場内アナウンス。考えてみれば当然かもしれないが、最近は「**さんの携帯電話にお電話してください」ってアナウンスが大半なのね。
 と、そんなことをやっているウチに、試合は近江高校の勝利で幕を閉じた。近江は、最終的に準優勝したんで、いい試合を見ることができたと思う。
 さて、さすがに準々決勝だけあって外野もほぼ満席近かったが、第2試合までは人ひとりが座る場所はけっこうあった。
 ところが、第3試合の神奈川・横浜高校と宮崎・日南学園の試合が近づくにつれて、徐々に人が増えていき、試合開始時には立ち見まで出る大盛況ぶり。みんなの注目は、今大会屈指の本格派投手の日南学園・寺原だったようだ。先発で寺原が場内にアナウンスされると、外野席全体が「オオー」とどよめき、拍手が起きたからな。他の選手じゃ、そんなことなかったぞ。差別だ(笑)
 それはともかく、試合での横浜高校の応援は、すごいものがあった。相手が注目の寺原だったことを差し引いても、応援のボリュームでは横浜の圧勝。これも、現地で見ないと実感できないことだね。ただし、チアガールがいたぶん、華やかさでは日南が勝ち(笑)
 ちなみに、外野席から撮ったんでこれが限界だったけど、↓寺原が投げる瞬間の写真ね。

 試合は、寺原が本調子じゃなかったとはいえ主に横浜ペースで進み、けっきょく日南の反撃も空しく横浜高校が勝利した。
 この試合の終了時点で16時半を回り、さすがに俺も疲れてきたので、大阪に戻って預けた荷物を受け取ろうとした……が、引換券がない! ウエストバッグの中に入れたはずなのに、どこを探しても券が見あたらない。どうも、甲子園で食い物を買ったとき、うっかり落としてしまったようだ。
 けっきょく、住所と氏名を別紙に記載して事なきを得たが、ここまでケチがつくと気分も最悪……いや、本当に気分が悪くなっていた。頭がガンガンして、体調が明らかにおかしい。
 そんなワケで、急いで大阪駅を出てホテルに向かったのだが、今度は道に迷った(^^;;; 初めての町なんで仕方がない面もあろうが、あのホテル自体が表通りに看板を出していなくて、非常に分かりにくいところに建っていたため、見つけだすのにえらい苦労したよ。
 それでも、なんとかホテルに辿り着いてチェックイン。で、部屋に入った途端、バタンとベッドの上に倒れ込んでしまった。
 気分の悪さは、ますます酷くなっていた。あまりにも急激な体調不良で、そのときは自分の体に何が起きたか分からなかったが、おそらく軽い日射病だったのだろう。
 で、本当は寝てしまいたかったのだが、せっかく大阪に来ていきなりダウンしているのでは情けないし、昼食が甲子園で食ったものだけなんで、何か食べておかないと明日の朝までもちそうになかったので、とにかく食事をしに外にでかけた。
 しかし、食欲不振で何も食べたいと思わない。特に、たこ焼きやお好み焼きなど、見るのもイヤなくらい。そんなわけで、ジュースを飲みつつ地上と地下を放浪し、けっきょく適当なうどん屋でうどんを食った。やぁ、関西の汁は色が薄いとは聞いていたけど、本当だねぇ。味はしっかり出ているけど、関東人の俺にはちょっと違和感があったぞ。
 そんなことで、うどん1杯で腹が膨れてしまったので、ホテルにさっさと戻った。で、風呂に入ったら、もうダメ。気力が尽き果てて、頭痛薬を飲んでそのままダウンしてしまった。
 こうして、トラブル続きの大阪旅行初日は終わりを告げた。
2001年08月20日(月)
 前日の体調不良は、薬のお陰か完璧に良くなった。が、それよりも台風の動きが気になっていたので、起床するや、まずはニュースチェック。その結果、夕方前には天気が崩れそうだが、午前中はなんとか大丈夫そうな予報だった。
 というワケで、8時半前にホテルを出て大阪城見物に出発。しかし、この時間って通勤ラッシュなんだよね(^^;;; 地下通路の人の流れには、かなり圧倒されてしまった。
 そんなこんなで、まずは大阪城へ。↓曇っていて、こんな感じ(^^;;;
 
 ちょうど、豊臣秀吉の時代展みたいなことをやっていて、ちょっと参考になる部分があったり。
 1時間半くらい、のんびり見物して、外でたこ焼きなど食っていたら、雨がぱらつき始めた。降り自体は大したことはなかったものの、台風接近の予感に予定より早めの移動を決断。
 そんで向かった先が、大阪ミナミの道頓堀だったりする(^^;
 初めての道頓堀は、噂に違わず活気に溢れていた。それにしても、これはミナミに限ったことじゃないが、大阪の商店街って風俗店と混在していて、なんか違和感があったぞ。たとえるなら、中野のサンモールの正面通りに、裏通りにある風俗店が堂々と顔を出しているようなもんか(←分からんって(^^;)
 まぁ、それはそれとして、ここで昼食でも食おうと思っていたので、とりあえず有名なうどん屋に入って昼食。カニを食おうという気もなかったワケじゃないが、大阪まで来て北海道のカニを食っても仕方がない、と思ってやめた(^^;;; 北海道のカニは、北海道で食えば良し(笑)
 しかし、うどん1杯で満足するほど、俺は小食じゃない(^^; というワケで、これまた有名なカレー屋に向かったら……改装工事かなんなのか、とにかく店の中に業者が入って何やらやっていて、完全に休業中。これは、ちょっと悔しかったぞ。
 その後は、道頓堀の周辺をブラブラしていたのだが、天気が怪しかったこともあって、とっとと大阪駅のほうに戻った。そうしたら、ちょうど雨が降り始めたところで、「ああ、このまま暴風雨になるのか」と絶望的な思いを抱きながら、駅の地下の土産物屋を物色してホテルに戻った。
 で、昨日の俺は、体調不良もあってホテルでのインターネット接続を確認していなかったのだが、ロビーにある公衆電話でアクセスできることが分かって、さっそくメールをチェック。そうしたら、19日に生徒からメールが来ていて焦った(^^;;; リブレットがなかったら、22日すぎまで放置していただろう。そんなことで、このメールに簡単に返信を作って送信。
 夜は、天気の崩れが予想したほど大きくなかったので、外で安いステーキ定食を食った。安いと言ってもそれなりの値段だったが、昼食が足りなくて腹が鳴っていたので量と値段のバランスを優先(^^;;;
 ホテルに戻ったあとは、ずっと仕事をしていた。改装を1ヶ月後に控えている古いホテルで、廊下の音がほとんど筒抜けなのが難点だが、それ以外には雑音がないし、インターネットもできないので(^^;仕事がはかどること、はかどること(笑) 
 作家をカンヅメにするという話は俺もよく耳にしていたが、正直その効果には疑問を持っていた。しかし、半ば自主カンヅメになってみると、意外と効率が上がることが分かった。
 もちろん、資料を持ってきているわけではないので、作ったあとにしっかり見直さなきゃいけないし、締め切り前にカンヅメになって慌てて作った作品がいいものになるはずがない、とは思う。だが、気持ちをリフレッシュしつつ作業効率を上げる、という点では東京から離れたホテルなどで仕事をするのも悪くはないかもしれない。
 伊豆かどっかの保養地とか自然が売りの観光地で、のんびりしつつ仕事ができたらスゲー幸せなんだろうなぁ、などと夢を見てしまったり(笑)
2001年08月21日(火)
 起床と同時に、まずはニュースチェック。そんで、台風が午前中に直撃するかも、という報を聞き、ホテルを8時半にチェックアウトして大阪駅に向かおうと地下街に入ったら……迷ってしまった(^^; 2日も歩いているし、昨日は平気だったんだからもう大丈夫、と油断したのが失敗の元だったね。
 っつーか、俺は目印として地下街の店舗を見ていたのだが、朝8時半は一部の飲食店をのぞいてシャッターを閉めているため、雰囲気がまるで違うのよ。それにくわえて、外が雨のせいか、人の流れが昨日以上に複雑で、それを頼りにすることもできなかった。
 いや、地上に出て駅に行くルートなら、すぐに分かったのだ。しかし、大雨が降っている外を重たい荷物を持って歩くなんぞまっぴらゴメン、ということね。
 けっきょく、30分以上もさまよって、ようやく地下ルートから大阪駅に到着。
 駅で軽く食事をして、それからメールチェックをしたら、編集氏から新作小説のキャラクターデザインの画像付きメールが来ていた。アナログ回線だもんで、ちょっと重くて焦ったが(^^;;;
 その後、友人宅を訪れるため、早々に電車で移動を開始。
 本来なら、神戸にでも寄ろうかと思っていたのだが、さすがに大雨の中をブラブラする気にもならず、また電車が止まる可能性も考えて予定よりも早く動くことにしたワケだ。
 そんなこんなで、電車の中でも仕事をしつつ、友人宅のある駅まで移動。駅に到着したとき、まだ雨は小雨程度だった。で、時間がちょっと早すぎたので、駅前のコンビニで立ち読みをしていたら……大雨になった。あまりにもひどい降りに、さすがのオイラも「金のことを気にしていられない」とタクシーを使って友人宅に向かうことにした。
 が、タクシーの運ちゃんがまだ地元に慣れていない人らしく、住所を聞いても友人宅の位置が分からないとのたまい、焦ってしまったぞ(^^;; けっきょく、運ちゃんが友人に電話して道を聞いて事なきを得たという、なんともはやなことになってしまった。友人宅に着いたとき、「勉強させてもらいました」って礼を言われちゃったよ(^o^;
 そんなこんなで、友人と数年ぶりの再会。あとは、友人と積もる話を延々としていた。
 夜は、友人宅でしゃぶしゃぶをご馳走になった。たらふく食って飲んで、いっぱいお喋りして、実に健全だ(笑)
 というワケで、23時半には疲れて就寝。
2001年08月22日(水)
 起床と同時に、台風の進路を確認。関西はとっくに抜けていたが、関東方面がヤバかったのだ。何しろ、今日が帰京予定日だったからな。関東方面の状況は気になるところよ。
 その番組の最中、通販のCMが流れたのだが、そのとき関東なら「東京03」が「大阪06」だったのには、大いなる違和感があったり(^^;;; まぁ、当然といえば当然なのだが、聞き慣れたフレーズが違う言葉で流れるとなんとも違う雰囲気になるものである。
 で、朝食をご馳走になっていたら、「新幹線のぞみ、ひかりが運転見合わせ」「山陽新幹線も運転見合わせ」と状況がどんどん悪くなっていったため、急いで友人宅を出ることにした。唯一動いていた「こだま」で新大阪から東京まで帰るとしたら、いったい何時間かかるか分からないからな。
 ということで、友人と別れて普通電車で新大阪に向かった。
 正直、いざとなったら新大阪周辺で泊まることも考えていたが、俺が新大阪に着くと同時に「ひかり、のぞみはまもなく平常運転になります」とアナウンスが流れたので、ホッと一息。けっきょく、新大阪駅で昼食を食ってから「ひかり」に乗って帰京。
 やはり、車内で仕事をしていたが、さすがに疲れていてあまり進まなかった。
 でもって、16時前に東京駅に到着。この頃には、台風が関東を逸れていったお陰で東京の雨もすっかり上がっていた。けっきょく、今日はアパートに戻るまで傘をまったく使わないで済んだ。
 というワケで、大阪旅行はおしまい。なんとも慌ただしく、また台風に振り回された旅行になってしまった。とにかく、出だしからつまずいて最後までバタバタしていたもんで、(日記にも書いたが)疲れに行っただけのような気がする。まぁ、強行した理由は友人に会うためで、その目的は果たせたから後悔はないんだけど。
 ちなみに、21日と22日に写真がないのは、充電器を忘れて電池が切れたからである(^^;;; 電池を新しく買う気にならんかったので、撮るのをやめた。っつーか、撮るものがないから、買わなかったんよ(^^;;;
 で、大阪の印象なのだが、思っていたほど関東との違いはなかったって感じ(←言葉だけはまったく違ったけどね) そんな気がしたのは、やはり建物がビルばっかりだったからだろう。ビルの形は、どこも似たり寄ったりだからなぁ。それに、さすがに電車内のアナウンスは標準語だったし。
 とはいえ、俺が見たのは大阪のほんの一部だけなので、もっとじっくり見たら違いが色々と見えてくるのだろう。なんと言っても、台風に振り回されたせいで、ゆっくりできんかったし、後悔の残る旅行だったことは間違いない。
 それにしても、忙しかったせいでこれだけ書くのに1ヶ月もかかってしもうた……。

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