東京都青少年健全育成条例改正に関する私見

 以下の文章は、2010年12月15日に可決・成立した東京都の改正青少年健全育成条例に関して、俺が感じたこと、思っていることを述べたものである。
 本来、「飲んだくれて戯れ言」の中で書いていたことなのだが、プライベートな記述との区分けができていない気がしたので、12月13日〜15日の分は戯れ言の記述から関係部分を転載し(一部に追記・編集有)、16日からは新たに文章を書き起こすことにした。
 ここの記述は、あくまで俺が個人的に考えた
私見であり、中には事実を誤認している箇所があるかもしれない。その点は、悪しからず。
 背景を黒くしたのは、この条例が施行されて表現の自由が失われることへの懸念の意味を込めている。ちょっと読みづらいかもしれないが、ご勘弁願いたい。
 なお、文章は戯れ言とは逆に、上から古い順に並べている。

 最終更新日 2010年03月27日 日曜日

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2010年12月13日 月曜日
 さて、東京都のいわゆる二次元規制条例が、本日の都議会総務委員会で可決されて、いよいよ15日の議会でも可決される公算が濃厚となった。
 いくら付帯決議で慎重な運用を求めても、これが表現の自由を脅かし、手塚治虫以降、今日まで脈々と培われてきた漫画・アニメ文化を破壊しかねない危険な条例であることに変わりはない。
 だが、ここまで来てしまっては、もはや俺たちにできることと言えば、次の選挙で現都知事・副知事その息のかかった候補、また条例案に賛成した議員に投票せず、規制反対派の人に入れるようにすることくらいしかなかろう。そうして、この規制条例を撤回させる方向で動かなくては、マジで日本のオタク文化は終わりかねない。
 日本の漫画やアニメが世界で認められるほどに多彩なのは、玉石混淆であればこそ。規制に賛成する人は「玉」の部分だけを磨けばいいと思っているのかもしれないが、綺麗な玉が生まれるためには幾百幾千の「石」が必要なのだ。その土台を削るような今回の条例が運用され、規制の網がかけられたら、「玉」の数まで激減するのは目に見えている。
 ついでに言えば、この改正案ってもう児童に対する性犯罪を減らすとか、そういう目的から逸脱してるよね。だって、この規制、「小説と実写を除く」になってるんだもん。小説はともかく、実写なら何をやってもよくて漫画やアニメやゲームではダメって、なんか本末転倒じゃない? てか、これで本気で児童を守れると思っているとしたら、よっぽど頭の中がお花畑になっているとしか思えん。
 幸いと言うべきか、角川書店をはじめ出版各社が東京国際アニメフェアへの出展を取りやめるなど抗議の動きはあるわけだが、こういうものがもっと大きくなって欲しいね。現時点だと、アニメフェアに出る予定だった作品の3〜4割がなくなるくらいって感じだが、大手アニメ製作会社などが出展を取りやめれば、もうアニメフェアの開催自体が危うくなる。
 いっそ、中止に追い込まれてしまえばいいんだ。片方でアニメ漫画文化を世界に広めようとして、もう片方でそのコンテンツを潰そうとする。旗振り役の都がこんな矛盾した態度では、もう二次元系の産業の発展は望めないんだし。
 俺も、もう東京都に税金を納めるのがイヤになってきた。便利だから、都内には住みたいけどさ。
 なんて書いていたら、集英社の専務たちがこんなことを。その心意気やよし。「ワンピース」と「NARUTO」が出ないとなれば、東京国際アニメフェアの価値はいちだんと下がる。
 くだらん規制なんて無意味にして、想像力も創造力もなくなった都知事や副知事、そして規制に賛成する議員どもに一泡吹かせてやるっきゃない。


2010年12月14日 火曜日
 ああ、明日には創作者の自由を奪い、アニメや漫画といった文化を衰退させかねない危険な条例が都議会本会議で可決・成立してしまう。
 しかし、条例が実際に施行されるまでには、多少の時間がある。なんとか、その間にこのクソ条例を撤回・廃止に追い込む手立てはないものだろうか? 
 それにしても腹立たしいのは、都議会民主党の対応。風見鶏の如く、あっさり賛成に転じやがって。しかも、より危険な方向に条文が改訂されたってのに、「非実在青少年」という言葉が消えただけで賛成に回るってんだから、呆れて物が言えん。物事の本質を見ないで、表面だけを見てコロコロ態度を変えているんじゃねーよ!!!!ヽ(`Д´)ノ
 もっとも、党のトップからして日和見主義の風見鶏だから、下部組織もそうなるのは当然なのかもしれんけど。
 まったくよ〜、「エロ議員」とか理不尽な誹謗中傷をちょっと受けたからって、簡単に折れてんじゃねーっつーの。情けない。
 何より、この条例において俺が問題視しているのは、創作者・出版社側が異議申立てをする場すらない、という点な。第三者委員会だかなんだか知らんけど、そこが「これ有害」と指定したら、その時点で「有害図書」のレッテルを貼られておしまい。こっちが反論・異議申立てする機会なんてまったくない、一方的な措置よ。さらに言えば、いったん「有害指定」された作品から、この指定を外す術もない。これって、まさに現代の魔女狩じゃん。
 こういうのも、立派に「検閲」って言うんじゃないの? えっと、検閲は憲法で禁止されているんだけどねー。
 俺は法律の知識がないんで、法的に戦う術を持ち合わせていないのだが、裁判などで施行の差し止めを求める請求って起こせないのかな? これ、ホントに施行されたら危険極まりないぜ。


2010年12月15日 水曜日
 ついに、後世に禍根を残しかねない危険な条例が、東京都議会で可決・成立してしまった。この条例が施行される7月以降、世界に誇った日本の漫画・アニメ文化は衰退の一途を辿ることになるかもしれない。
 東京では7月以降、行政が、しかもどうやって選ばれるのかも分からない審査機関だか委員会だか分からん一部の人間が、どの漫画やアニメが青少年に好ましいか好ましくないかを勝手に判断してくださるそうだ。ありがたくて、涙が出てくるね。
 まったくよー、今回の大きな問題点は、実態を知らない議員連中が、ろくに状況も知らないまま都の連中に踊らされた挙げ句、賛成してしまったことだよな。たとえば、すでに「成年向け」とゾーニングされている漫画を引き合いに出して、「子供がこういうものを買える」と嘘をつかれても、そういうことを理解していないと「そうなんだ。それはいけない」と思ってしまう。こういう印象操作が、実際に行なわれていたらしいし、マスコミですらその罠に引っかかって規制に賛成する論が見受けられたりする。
 まぁ、都がやたらと成立を急いだのは、議員などにこの問題について勉強させる時間を与えないようにするためだったんじゃないか、という気もするが。
 なんとか、この条例を撤回させる、あるいは有名無実化させられないものだろうか?
 あと、たとえ条例の運用が始まったとしても、審査機関を監視する別の委員会を作り、審査が厳密な基準で公正に行なわれているかをチェックし、不当と判断した場合は警告を出し、審査機関の結論を覆せるような形にしてもらいたい。
 あるいは、昨日も書いたが、創作者・出版社側が有害指定に対して異議申立てをできる制度。審査機関とは別のところで、こちら側からの異議申立てを受け付けて、指定が適当か否かを公平に審査する場があってしかるべきだろう。もちろん、そっちのメンバーは審査機関のように警察OBやPTAみたいな連中を抜きにして、公正中立な立場の人で構成する。
 とにかく、一方的な指定を許せば、行政の気に入らないものに難癖をつけて有害指定を連発する、なんてことも起こりうるからな。たとえば、今回の件で角川書店と集英社が真っ先に反旗を翻したけど、その報復で7月に条例が施行されるなり両社の漫画をことごとく有害指定する、なんて事態も充分にあり得るワケだよ。
 極端なことを言えば、「『ワンピース』が海賊という違法行為を賛美している」なんて理屈だって、やろうと思えばできてしまうし、そうした一方的な有害指定を止められる機関が現状ではどこにもない、という現実がある。そのことを、規制賛成論者は直視して欲しい。
 大げさではなく、現行の条例のままでは強引な解釈によってそうした恣意的な運用ができ、「青少年の健全育成」の名の下に規制の範囲が無制限に広がっていきかねない。その点を、我々創作者は特に危惧し、問題視しているのだ。
 そして、今もそうなのだが、「有害図書指定」の恐ろしいところは、一度受けた指定を取り消す手続きをする場がない、という点。つまり、現在でも「性器が見える」などの理由で有害指定された本は、その部分をきちんと隠したとしても永遠に「有害図書」扱いのままで、取り消すことはできないんだよ。だって、それを訴える場所がどこにもないんだもん。
 今回の条例の改正案にしても、異議申立てはもちろんだが有害指定取消しの手続きをする場はなく、いっぺん有害指定をされたら条例が廃止されて基準が変わらない限り、永遠に「有害図書」扱いされてしまう。しかも、今までは定置網的な手法だったが、今度は底引き網でゴッソリ。これを、一方的な魔女狩、検閲と呼ばずになんと言う?

 とにかく、手始めは石原慎太郎東京都知事が実行委員長をしている東京国際アニメフェアを、中止あるいは大失敗に追い込むことだ。実行委員長の本心がアニメ・漫画の撲滅にあり、こうしたものを侮蔑していると分かった以上、そんな人間が(名ばかりだとしても)トップにいるイベントなど、やる価値も意味もないし、出るだけ無駄だ。
 角川書店・集英社をはじめ、出版10社が出展を取りやめ、さらに集英社はジャンプ連載作品のアニメの出展も認めない方針を示したので、まずはフェアに甚大なダメージを与えたと思う。なにしろ、「ワンピース」と「NARUTO」に加えて、「BLEACH」や春の新番「トリコ」も出ないとなれば、商業イベントとしての魅力も激減だろう。
 あとは、どれだけのアニメ製作会社が自社の利益を度外視し、追随してくれるかが問題だ。各社さん、ここは外国に自社作品を売り込むなんて目先の利益ではなく、5年後10年後を見据えた判断をしてくれよ。でないと、5年後には海外に売れるような作品が作れない、なんて事態になりかねないんだから。
 俺は企業の人間じゃないが、まずは都の主催するイベントの類には絶対に行かないことで、ささやかながら抗議の意志を示したい。


2010年12月16日 木曜日
 読売新聞や産経新聞といったマスコミは、今回の規制を「過激な性描写の規制」としか捉えず、「規制は当然」という論調を展開している。昨日は読売新聞が、今日も産経新聞が同様の趣旨の社説を掲載していた。
 だが、条文をよく読んでもらいたい。今回の規制対象は、「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」とある。
 つまり、性描写に限らず「犯罪を誘発する恐れがある」と見なされれば規制対象にできてしまうのだ。例を挙げてみよう。
 「ワンピース」は「海賊という違法行為を行なう者をヒーローとして描き、犯罪を誘発する恐れがある」。「頭文字D」は「道路交通法に違反する危険な行為を肯定的に描き、犯罪を誘発する恐れがある」。「ルパン三世」や「キャッツアイ」は、「窃盗あるいは強盗といった刑法に反する行為を美化しており、犯罪を誘発する恐れがある」。「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」は「毎回のように殺人事件が起きるなど残酷描写が多く、青少年の残虐性を助長する恐れがある」。「デスノート」や「ゴルゴ13」も、「殺人を正当化あるいは美化しており、犯罪を誘発する恐れがある」。
 パッと思いついたものを簡単に考えてみただけだが、どうだろうか? 「こんな理由で規制なんて、あり得ない」と一笑に付すか?
 だが、現行の条文ではこうした屁理屈が通りかねず、上記の作品群はすべて規制対象になり得る。だって、前述の通り「犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」も規制対象なんだし、都の意向を受けた審査機関が一方的に「有害」と指定できるんだから。
 つまり、都知事やその他、都の偉い人が「これ、気に食わない。有害図書にしよう」と思ったら、適当に難癖をつけて指定できてしまうのだよ。こんなことがまかり通ったら、まさに戦前の検閲そのものだ。
 性描写もさることながら、この点も我々創作者サイドが問題視している部分の1つなのである。これでも、マスコミ連中は今回の改正を「性描写規制」だと言うのか?
 たとえば、いいタイミングと言うべきか、ちょうどこんな記事があった。
 伊豆大島で盗み20件か=容疑で少年3人逮捕−「怪盗キッド」と自称・警視庁.
 怪盗キッドは、「名探偵コナン」にしばしば出てくるが、正確には同原作者の青山剛昌氏の「まじっく快斗」って作品での主人公な。クロスオーバー的な形で、「コナン」にも出ているワケで。
 さて、改正青少年健全育成条例がそのまま施行された時点で、この事件が起きていたらどうなっただろうか? 「犯罪を誘発する恐れ」どころか「実際に犯罪を誘発した」という理屈をこじつけようと思えば、できてしまう。もし、「名探偵コナン」を嫌いな人間が審査をする側にいたら、現行の条文なら前述の判断も可能だ。そうなれば、怪盗キッドが主役の「まじっく快斗」は有害図書指定、同キャラが出てくる「名探偵コナン」も有害図書になってしまう可能性がある。
 となると、「コナン」は成人漫画扱いになって、18歳以上しか買えなくなる。当然、メインの読者である小中学生は本を買えなくなるし、連載雑誌の週刊少年サンデーも18禁扱いになるかもしれない。当然、売り上げが激減するので、「コナン」が打ち切られるか、週刊少年サンデー自体が廃刊になるか、どちらかになるのは必至だろう。
 こんな事態になることを、「杞憂だ」と笑い飛ばせるか? 現行の文面だと、最悪こういったことが起こる危険性があるからこそ、俺はこの条例に反対しているのだ。
 ところが、この規制は「小説と実写は除く」とあるので、たとえば「まじっく快斗」や「名探偵コナン」が有害図書指定を受けたとしても、小説化したり実写映画化する場合は、規制の対象にはならず子供でも見られる。あれれ? なんかおかしくねー?
 さらに言えば、テレビニュースや新聞でやっていた、あるいはドラマでやった犯罪を真似るヤツが出ても問題にされず、アニメや漫画で犯罪を描くのは規制されるワケ。これって、すごく変だと思わない?
 性描写も同様。テレビドラマのベッドシーンはよくて、アニメや漫画でそういうのを描くと有害指定されるかもしれないって、絶対おかしいだろうが。
 しかも、昨日も書いたように都の一方的な指定に対し、作者・出版社側が異議申立てをする場がないというのも問題だ。もちろん裁判という手はあろうが、かかる手間と時間と金額を考えたら、とてもじゃないが現実的とは言えない。それに、いったん有害扱いされた作品の名誉は、簡単には回復しないだろう。
 こういう状況を、創作者と出版社に甘んじて受け入れろと言うのか? あまりに一方的な不平等条例で、創作者イジメ以外の何物でもあるまい。
 また、マスコミなど一部には「今回の改正は、『販売規制』であって『表現規制』ではないから『表現の自由』は問題にならない」と言って、規制に賛成する向きもある。
 しかし、最初から成人向けに作られた作品ならともかく、小学生や中高生向けの作品で販売が規制されれば、当然の如く売れ行きが激減する。そうなりゃ、売れなくなった作品は終了するしかないし、「次は規制されないものを描け」という話になる。そんな状況が、「表現の自由」が守られていると、「表現規制ではない」と、果たして言えるだろうか?
 ようするに、資本主義社会において「販売規制」は「表現規制」に直結してしまうワケよ。
 さて、こうした状況になった場合、創作者がどれほど自由な発想で新たな作品を作り出せるだろうか? 萎縮して、無難でつまらない作品しか作れなくなってしまうのは、まず間違いない。俺だって、「あれもダメ、これもダメ」なんてあらかじめ枠をはめられたら、どんどん発想が縮こまっちまうわ。
 主に企業などでやっている、「ブレーンストーミング」という発想法がある。これは、とにかく思いつくまま多くのアイデアを出し、そこからよさそうなものを取り出していく手法だ。
 ブレーンストーミングをやるときのコツは、「ネガティブ(否定的)な意見を言わない」という点にあるし、いかにアイデアを多く出すかが成功のカギでもある。
 これを今回の規制に当てはめると、すでに作品作りの前提条件から崩れてしまうことがよく分かるだろう。
 日本の漫画・アニメが、世界でも類を見ないほどに多彩なのは、手塚治虫の時代から玉石混淆、無数の石となる作品が有形無形ながらも存在して礎となり、ブレーンストーミングでいいアイデアが出てくるように、目新しい発想の作品が生まれてきたからに他ならない。つまり、規制のある他国と比べ、豊かな土壌があったればこそなのである。
 もちろん、中には眉をひそめたくなるような作品があることも否定しない。だが、そうしたものは無理に規制しなくとも自然に淘汰されていき、歴史に残ることはないのだ。
 しかし、埋もれた無名の作品群が土台となり、そこから新しい作品が生まれ、やがて「傑作」と呼ばれるものが現れる。これが、世の中の摂理だろうに。
 また、そのときはあまり注目されなくても、あとになってから再評価される作品もある。「有害」のレッテルを貼って、そうした可能性のある作品を事実上、葬り去ることは、文化の損失以外の何物でもない。
 こうした前提条件を狭める今回の規制は、正三角形のピラミッドの底辺面積を大幅に削り取るようなものだ。それでは、高いピラミッドを作ることなど不可能なんだよ。
 あいにく、この手の世界はスカイツリーのような細長い形ではなく、正三角形のピラミッド構造にしかならないんでね。だから、底辺の面積が狭まれば高さも自然に減る。つまり、いい作品が生まれてくる確率も減るってこと。そうなれば、日本の漫画・アニメ文化が衰退していくのは、火を見るよりも明らかだ。
 とにかく、担当者の解釈や審査機関のさじ加減一つで現存する大半の漫画・アニメが規制の対象になりかねず、しかも作者側に反論・弁明の機会もなく、指定作品の名誉を回復する術すらないというのが、この条例の大きな問題点なのである。
 ところがぎっちょん、小説や実写は規制の対象外なんだよね。じゃあ、絵のある小説は? 絵があるから規制する? あれ、「小説は除外」って明文化されているよな? 「小説」なのに、規制するの? 
 今回の条例は、こういう部分も極めて曖昧で、ぶっちゃけ現実に即してない穴だらけのものなんだよ。ホント、これが現行のまま施行されたら、書店を含めてあちこちで大混乱になると思うわ。


2010年12月22日 水曜日
 昨日から今日にかけ、日本動画協会とコミック10社会が同条例に対しする声明を出した。
 日本動画協会のは協会ホームページから、コミック10社会のは角川書店のリンクから参照いただきたい。
 特に、日本動画協会の声明は明確に都の条例に反対し、東京国際アニメフェアを開催できなくなる可能性を指摘しつつ、立場はほぼ一貫している。
 しかし、読売新聞に小さく出た記事では、声明の前半と後半の一部を引用し、まるで日本動画協会が「条例に反対だが、東京国際アニメフェアが開催できなくなるのも困る」と、都とコミック10社会の両方に文句をつけているような、つまりは中立的な立場にあるようなニュアンスにされていた。同じソース(時事通信かどっか使ってる?)と思われる産経の記事も、WEBで見た限り似たような感じだった。
 だが、全文を読めば協会が条例に反対し、コミック10社会の立場を支持しているのは明らかである。さすがに、協会が規制に賛成しているような捏造はできなかったのだろうが、それでもこれは立派な印象操作だな。おそらく、あまり興味のない人だと、騙されるんだろうな。
 また、読売新聞はこの件について、読者欄で規制賛成派の意見だけを載せていた。おそらく、多くの規制反対意見が寄せられていただろうに、それらは黙殺して社説に賛同するような意見だけを「読者の声」として載せる。読売に限らず、どこでも耳の痛い意見は載せたくなかろうが、こういうことをするからテレビや新聞の信頼性が揺らぐのだ。
 それにしても、角川と集英社の出展拒否に「出たくなければ勝手にしろ」と言っていた都知事殿は、この協会の声明に何を思うのだろうか? これでも、開催する? それとも、「だったらこんなイベントやめちまえ」と言う?
 いや、正直なところ石原慎太郎がアニメ・漫画を低俗なものと見なし、業界をぶっ潰しても構わないと考えていると明白になった以上、そんな人間が実行委員長を務めるアニメフェアなど、やる価値もないと思うけどね。


2010年12月30日 木曜日
 一昨日のことになるが、角川書店を初めとする会社が幕張メッセで「アニメコンテンツエキスポ」の開催を発表した。この主宰に名を連ねている企業がすべて東京国際アニメフェアから撤退した場合、もはや東京国際アニメフェアに展示される作品などほぼ皆無と言っていい状況になるだろう。
 さらに昨日、「巨人の星」などで有名な漫画家・川崎のぼる氏が東京都による東京国際アニメフェアでの表彰を辞退した、という報もあった。おそらく、著名人の表彰で、なんとかアニメフェアのほうに注目を集めて人を呼び戻そうとしたのだろうが、見事に目論見が外れてしまったワケだ。
 いよいよ孤立無援と言っていい状況になった東京国際アニメフェアの命運は、まさに風前の灯だな。東京都、ざまぁないな。
 ただ、そんなことがある中で、この改正青少年健全育成条例の通達に「電磁的記録媒体に記録されたプログラムを電子計算機等を用いて実行することにより、該当する行為を疑似的に体験させるメディアについて、出版物と同様の規制をしていく」と書かれていることも判明した。
 詳細はこっちを見てもらうとして、ようするにゲームのことよね。法令に違反する行為は、すでに18禁になっているゲームでも有害指定の対象にする、と。
 ゲーム業界は、すでにエロゲーなどはソフ倫やメディ倫で厳しい自主規制とゾーニングがなされている。そこでOKが出ている作品ですら、都が勝手に「有害指定」をするそうだ。すでに規制されているモノに、さらに規制を加えるという、もはや意味不明としか思えないことをやるってことらしい。って言うか、ゲーム側の自主規制を無にして自分たち(お上)が基準を作ってやる、ということだよな。それって、業界の今までの努力を無視するってことだよね。ヒデー。
 ちなみに、18禁マークのついたエロゲーは今でも18歳未満は購入禁止だ。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」では中学生の女子がやっていたが、あくまであれはフィクションである。つまり、青少年健全育成条例で定めるところの「青少年」は、本来買えないのだよ。
 にもかかわらず、「青少年の健全育成」を目指す条例でこの手のゲームを規制しようというのは、なんとも妙な話ではないか?
 ちなみに、「法令に違反する行為で有害指定」するとなると、エロに限らず多くのゲームで有害指定を受けることになるだろう。
 厳密に言えば、レーシングゲームの中にも規制の対象になり得るものがある。だって、街中の公道を100km/h以上で走ってレースをするゲームもあったりするんだぜ。これ、立派な道路交通法違反。「法令に違反する行為」が規制の対象だと言うのなら、こういうのだって規制しなかったらおかしかろう?
 まぁ、これは極論ではあるが、とにかく規制の範囲が漫画やアニメにとどまらないことが判明して、もはや東京都が小説と実写以外の二次元系のすべてに喧嘩を売るつもりであることが明確になったワケだ。
 って言うか、みんなエロにばっかり目が行ってるけど、それ以外にもなんでも規制できちゃう危険性がある条例だ、ということを忘れてはいけない。
 この改正条例は、まさに誰にも(警察の天下り官僚など一部のヤツを除いて)なんの利もない毒薬でしかない。こんなものが実際に運用されたら、漫画もアニメもゲームもなんの冒険もできなくなってしまうぜ。
 本来、フィクションというのは「現実にはできないこと」「あり得ないこと」を描くためにある。そして、ユーザーの大半はそれをフィクションと分かった上で楽しんでいるワケよ。
 法令に違反する行為だって、「現実にはできないけどフィクションだから」ということで、現実と分けて楽しんでいる人が大半なワケだ。そうした楽しみを、行政が「有害」と勝手に決めつけて規制しようなんて、どう考えてもおかしいと思わないか? 
 俺はやはり、この条例の運用をなんとしても阻止するべきだと思う。そうしないと、日本のアニメ・漫画・ゲームの業界すべてに悪影響が及ぶぜ。
 とにかく、出版社をはじめアニメの制作会社なども東京に集中しているわけだし、この規制が運用されたら影響は間違いなく都だけにとどまらず全国に広がるだろう。
 Amazonなんかも、都の有害指定を受けた図書類は基本的に扱わないみたいだし、条例が運用されたら漫画とアニメとゲームの多くを扱えなくなって利益ががた減りするか、指定を無視して売り続けるようになるか、どっちかってことになるだろうよ。まさか、「この本は都で有害指定を受けたから東京都の人にだけ売ることはできません」なんて差別もできんだろうし。


2011年02月10日 木曜日
 東京都が、東京国際アニメフェアの開催を正式に決めた。ただ、噴飯ものなのは、「来場者数は昨年並みを見込んでいる」という点。
 あのさ、確かに参加を取りやめた企業は全体の2割程度で、不参加企業は予想していたほど多くはなかった。だが、角川書店系列と集英社、そしてアニプレックスの作品が軒並み不参加になって、いったいどれだけの人気コンテンツが残るというのか? しかも、そうした人気作品が参加しないと分かっている、しかもアニメ・漫画コンテンツを潰しかねない改正条例を推し進めた人間が実行委員長をやっているイベントに、どれだけのオタクが行くというのか。
 それでいて「昨年並み」の来場者を見込むとは、見込みが甘いにもほどがある。この時点で、都の担当者に現実がまったく見えてないのは明らかだ。まぁ、行政の見込みが甘いのはこれだけじゃなくて、バラ色の未来を夢想して計画を立てて、現実の厳しさに打ちのめされて赤字を垂れ流す、というのは公共事業ではよくあることだが。
 けど、今回の都条例を巡る業界関係者の反応、アニメ・漫画ファンの反応、それにラノベ・漫画原作の人気コンテンツの多くが不参加になった状況を鑑みれば、「昨年並みの来場者」なんて甘い見込みは普通ならできねーや。俺が担当者だったら、昨年比3割減で御の字、半減は覚悟くらいの見込みにするがな。
 ホント、ムチャしやがって(AA略)という感じだね。
 ま、個人的には閑古鳥が鳴いて大失敗に終わって欲しい、という気持ちは強いし、それは誰になんと言われようと変えるつもりのない意思だ。
 とにかく、今回分裂開催的にアニメコンテンツエキスポが開かれることになった経緯を考えれば、東京国際アニメフェアに成功してもらっては困ると俺は思っているのだよ。これの失敗は、一時的には業界にとってダメージになるかもしれん。けど、5年10年という長い目で見た場合、ここで都に甘い汁を吸わせるのは業界にとってまったく得にならないだろう。きつい灸を据えて、我々の怒りの大きさを思い知らせてやることが、今は大事なのではないか? 俺は、そう思っている。
 それにしても、石原慎太郎東京都知事は、実行委員長という立場上、当然の如く開会に際して挨拶をすることになると思うのだが、果たして何を言うだろうね? 不参加企業への批判を展開するのか、はたまたあえて何も触れずに無視を決め込むか。後者なら、かなり大人の対応って感じだが、なにしろあの石原氏だからなぁ(^o^; 火に油を注ぐような真似を、な〜んかやらかすんじゃないか、とある意味で期待していたり。 


2011年03月27日 日曜日
 3月17日、大地震の混乱が続く中で、東京国際アニメフェア2011の中止が発表された。詳細はこれ。(←PDFなのでクリック時は注意)  また、アニメコンテンツエキスポも同じく中止が決まった。こちらも残念だが、仕方があるまい。
 以下の内容は、あくまで件の条例絡みの話に絞ってのことなので、不謹慎とか言わないように。
 まぁ、会場が被害を受けたことや、いつ停電が起きるか分からない今の状況などを考えれば、中止もやむを得まい。客だって、足の確保が難しくて集まらないし。
 ただ、上記のような状況もあったんで、強行して閑散という大恥をかかなくて済んで、実は担当者と都知事は内心で胸を撫で下ろしているのではないか、と思っている。もっとも、こっちとしてはその悲惨な状況を見られなかったのが残念で仕方がないのだが。
 震災で、この条例のことなどすっかり忘れられた感もあるが、7月にまともに施行された場合、ただでさえ紙不足やインク不足で苦しい状況に追い込まれている中小出版社に止めを刺す危険性がある、と俺は危惧している。
 とにかく、俺たちにできることは条例を支持する人間には投票しないこと、そして新しい都知事が条例の施行停止を決断してくれるよう祈ることだ。