☆2007年12月の戯れ言

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2007年12月31日 月曜日
 大晦日。ということで、早めに更新。
 今日の午前中は実家の大掃除を手伝い(と言っても換気扇洗いだけだが)、また折り畳み自転車を引っ張り出してちょっと外出。いやな、親父の遺品の中に未チェックの宝くじがあって、これをチェックしてもらおうと思ったのよ。もっとも、俺は宝くじ売り場も今日は休みじゃないか、と思っていたのだが、お袋が「行ってみろ」と言うもんだからさ。一駅向こうの、自転車で15分くらいかかる場所にある宝くじ売り場に行ったんだよ。
 やっぱり休みじゃんorz
 だから、言わんこっちゃない。無駄骨だった。まぁ、運動したと思えばいいんだけど。
 にしても、タイヤの径が小さいこともあるのかもしれないが、佐世保で電動アシスト自転車を乗ったときと比べても疲労感がやけにあったなぁ。やっぱり電動アシスト自転車は、ペダルをこぐ力をしっかりサポートしてくれていたんだろうな、としみじみ実感。
 午後は、集中力があまりなかったものの、とりあえず15時前までは真面目に原稿を書いていた。そのあと、お袋と雑談をしていたこともあり、すっかりダラけてしまったが(^^;
 そんなワケで、色々あった2007年も今日でおしまい。来年こそは、公私ともいい年になるように祈るしかあるまい。

2007年12月30日 日曜日
 夕べ、風呂の掃除をしていて少し身体を冷やしてしまったのか、寝る直前になって若干、風邪が悪化しそうな気配が。ということで、咳止めの薬を飲んで就寝した。おかげで、夕べは熟睡できたわ。
 風邪のほうも、ギリギリでぶり返しきることもなく、なんとか昨日と同レベルで収まっている。
 そんなワケで、午前中はネットなど軽くやりつつ出かける準備を済ませて、適当な時間に出発。
 で、実家のある駅で降りてまず向かったのは、駅からほど近い場所にある行きつけのパーマ屋。今回は、面倒だからパーマをかけてから実家へ行くことにしたのだ。
 しかし、年末だというのに店員が少なく、トータルで1時間くらい待たされたよ。おかげで、パーマをかけ終わったのは14時過ぎ。
 そんなワケで実家に到着し、軽く飯を食って一息。で、ロケフリでちょっくらビデオチェックをしたり、メールを打ったりしていた。
 う〜、イカン。実家でも仕事をしようと思っていたのに、ついのんびりしすぎてモチベーションが下がってしまう(^^;;;

2007年12月29日 土曜日
 今朝方も、また咳で目が覚めたorz そのせいかなんなのか、朝がどうにもスッキリ起きられない。微妙に寝不足感があって、いつもの時間に目覚し時計が鳴っても起き上がろうって気になれず、30分近く布団の中でグダグダしている有様よ。途中で起きちゃうのもそうだが、熟睡できていないのかもしれん。
 さて、通常なら今日あたり帰省するはずなのだが、さすがに今の状況で帰省して実家でグダグダもしていられないので、今日はほぼいつも通りに過ごしていた。いつもと少し違うことと言えば、RD-XS43に録画してある番組をパソコンのHDDに移す作業を一気にやっていたこと。ただ、これがまたやたらとエラーを出しやがって、かなり時間を食って苦労したよ。原因は不明だが、Norton Internet Security2007を導入した途端のことなんで、こいつに原因がありそう。一応、いじくれるところをいじくってみたが、なかなか安定しない。どうなってんだか?
 それでも、かなりの数は移動させた。これで、年明けからの新番組チェックも安心。XS43のHDDが飛ばなければ(-_-; 今度飛んだら、さすがに交換ものだと思う。
 また、これまでは仕事その1を自宅で、仕事その2を喫茶店でやっていたんだが、仕事その1が朱入れ段階に入ったこともあって、今日は作業を逆にして仕事その2を自宅でやっていた。ただ、さすがにちょっと進みが悪すぎる(-_-; ダビング作業のこともそうだが、なんだかんだ言って帰省のための準備やらなんやらで、けっこう時間を食っちゃうんだわさ。
 さて、アパートからの更新は今年は今日が最後。いろんなことがあったが、残り2日も無事に過ごして新しい年を迎えられるようにしたい。風邪が悪化したら、最悪だからな(-_-; 

2007年12月28日 金曜日
 ヤベー。昨日の戯れ言、書くのをすっかり忘れていたよ(^^ゞ そーいや書いてなかったなぁ、と今日になってから思い出したわ。ま、いつも通りの1日を過ごしていただけなんだが。
 ただ、いつも通りとはいかなかったのが、昨日の明け方と今日の明け方。なぜか、早朝のタイミングで酷い咳が出てな〜。呼吸困難になって、目が覚めた有様よ。浅田飴を舐めるとすぐに落ち着くし、昼間や夜になって寝るまで、そして明け方まではけっこう咳も収まっていい感じだから、咳止めの薬を飲む気にもならんのだが、就寝中に明け方だけ急に咳き込むんだわ。どうも、風邪が抜けきってないと、こういう症状が起きることがあるようだな。
 部屋を加湿しているし、マスクをして寝てもいるんだが、それでも咳にはあまり効果がない。もしかしたら、それだけの対策をしているから、明け方だけで済んでいるのかもしれないが。
 そんなわけで、昨日は取り立てて書くこともなし。
 で、今日も一般企業では28日でしかも金曜日と言うこともあって、あらかた仕事納めになるらしいが、俺にはそんなの関係ない(^^; ただ、帰省するんでアパートでの仕事は明日で仕事納めって感じにはなるが。実家でも、時間があれば仕事をしてないとね。
 それにしても、起きて今朝の朝刊を見て、「ブット元首相暗殺」というトップ記事を見たときは、さすがにビックリしたね。昨日は、19時以降のニュースをまったく見ていなかったので、完全に情報が送れたわ。
 パキスタンの情勢は、もうどう転んでも不安定化するのは確実な情勢になった。パキスタンは核兵器を持っているし、隣のインドとの関係も含めて南アジア全体の不安定要因にならないことを祈るしかない。
 パキスタンはともかく、インドは死ぬまでに一度くらい行ってみたいんだがなぁ。
 なんてことを思いつつ、今日もいつも通りの生活。
 しかし、今日の午後は喫茶店で座った場所が悪かった。隣のおっさんが、ビデオカメラとか取りだしてガチャガチャやっているのはいいとして、映像を見ながら笑い声とか出すわけよ。しかも、音量をかなり上げているため、音が微かに漏れてくる。けど、何をやっているか、なんの音かは分からない程度。これ、スゲーストレスが溜まる。しかも、そのあとに音楽を聴きだしても、カシャカシャ音が聞こえてくるし、そのあとは眠っていびきよ。ようするに、常に何かしらの音を立て続けていたわけだ。
 多少の音なら気にしない(ってか喫茶店に行って仕事をしている以上、雑談程度はBGM代わりなんだが)俺でも、さすがにこれはいささか苛立って、集中力が削がれてしまった。とはいえ、喫茶店で仕事なんぞしているのは俺の趣味なワケで、ゲームなんかをスピーカーから音を出してやっているならともかく、そうじゃないのを注意するのはさすがに気が引けたので、黙っていた。しかし、そのせいで集中力はガタガタに落ちこんだね。
 ただでさえ、2つの作業を平行してするために家と喫茶店でやることを完全に分けているのに、その片方でこういう形のトラブルでペースダウンすると、さすがにちょっと辛いわ。まぁ、まだ取りかえしのきく段階ではあるけど、また風邪とかインフルエンザとかで仕事ができなくなる危険性もあるわけだし、できるウチにやれることを可能な限り進めておいたほうがいいだろう。まして、俺は後半の追い込みができるタイプじゃないから、早め早めにやっていかないと。 

2007年12月26日 水曜日
 咳が、ようやく終息の兆しを見せ始めた〜\(^o^)/ もちろん、まだ万全ではないが、耐えられないほど酷い咳は、咳止め薬を飲まなくても出なくなったわ。帰省までに、このまま咳が収まればいいのだが。
 なんてこともありつつ、今日もいつも通りの1日。午前中、少し掃除をして、これで大掃除の代わりって感じかな? 今年は、とてもじゃないが大掃除をしている余裕はなさそうだ。
 午後、喫茶店に行くついでに振り込みを済まそうとしたら、肝心の振込先を書いた紙を忘れてきた事実に気づいて呆然。まぁ、今回は銀行へ行く前に気づいたんだが。
 また、別の銀行で金をおろそうと思ったら、ATMのタッチパネルがどうやっても反応しなくなって、インターホンで係員を呼び出しちゃったよ。そうしたら、俺のバッグの一部がタッチパネルに触れていたのが原因だった。どうも、異物が少し触れているだけでも、タッチパネルは反応しなくなるらしい。まったく、普通のボタンもつけておいて欲しいもんだな。タッチパネルだけじゃ、やっぱり不便だよ。
 それにしても、やはり時間がいささか足りない。片方の仕事はスケジュールに余裕があるからまだいいとして、もう片方は構成自体にいささか手間取っていて、まだ肝心な作業に入れていない有様。しばらくやってなかったことをやらなきゃならんし、帰省中に作業があまりできないことを考えると、日数ほどの余裕はないんだよな。頑張らないと。

2007年12月25日 火曜日
 夕べは、咳止め薬を飲んでいた割に途中で何度か咳をして目が覚めてしまった。とはいえ、朝になったらかなり軽減されたが。ようやく、薬が効いてきたかな?
 でまぁ、今日も俺はいつも通りの1日を過ごしていたりするわけだ。というか、全体的に作業が遅れているから、熱が出てない限りは頑張らないと。とは思うのだが、咳止め薬の副作用なのかやたらと眠くなってな。参っちゃうよ。就寝時なら、眠気も大歓迎なんだが。
 今日、ちょいと金をおろしに銀行へ言ったのだが、いざATMの前に立ってから、キャッシュカードを忘れたことに気づいた。通帳は持って行っていたのに、肝心のキャッシュカードを忘れるとは。そーいや、旅行の時にウェストバッグに入れて、そのままにしていたんだっけ。と、あとで気づいたが、時既に遅し。まぁ、予備の金があったから大丈夫だったけど、風邪のせいで今日までキャッシュカードを入れたパスケースを移し忘れていたことに気づかなかったわ。原付とか運転していたら、免許不携帯でヤバかったよ。ま、運転してないけど(^^;
 それにしても、すでにいくつかのアニメが最終回を迎えているワケだが、今期は感想を書いている暇はないな。それどころか、来年早々の新番組アニメも大量に切り捨てないと、時間が足りない気がする。
 そういや、東京MXテレビがまたやってくれたぜ。せっかくやっていた「ライディーン」を、10話で打ち切り。前に、「妖怪人間ベム(平成版)」を13話で打ち切ったこともあるが、今回もまたかましてくれたぜ、こん畜生! 放送するなら、最後まできちんとやれよ!
 とはいえ、あんまり悔しくない……というか、今回は打ち切りの理由もなんとなく分かっていたり。なにしろ、ファミリー劇場で来年1月20日から「ライディーン」をやるんだもん。おそらく、そこらへんで何かあったと見た。加えて、内容がああだからなぁ(^^; ちょっと悔しいのは、また第1話からに逆戻りするという点。スタート時期から考えて、来年4月くらいまで今回の話に辿り着かないと思うと、ちょっとかったりーんだよ。
 それにしても、あと「見たい」と思いながら視聴できないのは、「鋼鉄神ジーグ」くらいだな。金を払えばネットで視聴は可能だが(違法なのは論外(^^;)、そこまでする気はないから早くUHFかCSに流れてもらいたいものだ。

2007年12月24日 月曜日 振替え休日
 あ〜、今日はなんだっけ? なんかさ、世間様には幸せそうなカップルなんかがいるけど、そいつらがイチャつく日か? けっヽ(`Д´)ノ
 夕べ、とりあえず年頭に医者からもらったリン酸コデインを飲み、布団に入った。が、1時半近くまで咳が頻繁に出て、なかなか寝つけなかったわ。ただ、いったん寝ついたら、ようやく咳で目覚めることもなく、グッスリ眠れたよ。
 ところが、起床後に市販の咳止め薬を飲んだら、副作用なのかやたら眠くなってな。午後、喫茶店に行ったときなど、途中マジで沈没しそうになったぞ。まぁ、どうにか耐えたけど、歩いていてもなんだか眠くてな。結局、17時半から18時頃にかけて、軽く沈没してしまったよ。咳のせいで、完全にとはいかなかったが。
 そんなワケで、今日の俺は心身共にクルシミマス・イヴを味わっていたり(^^; あ〜、幸せそうなカップルを見ていると、どす黒い感情が心の奥底から湧きあがってきて仕方がないぜ。今の俺なら、きっと容易く悪に墜ちる(^^;
 喫茶店に行ったとき、14時半頃俺の隣に座った一家の男の子が、とにかく落ち着きがなかった。まぁ、それは別にいいんだ。問題は、母親がガミガミ叱る声のほうが気になって、俺の集中力を見事にかき乱してくれた。自分が赤ん坊の女の子を抱えているって事情は分かるが、子供のやることをああもヒステリックに叱る必要はないだろう。あれじゃあ、子供が萎縮するぜ。
 それに、叱り方の問題な。怒鳴るような声で注意するのは、逆に周囲の迷惑でもあると気づかないのか? つーか、なんで喫茶店に来たのか、そのほうが疑問だが。

2007年12月23日 日曜日 天皇誕生日
 夕べは、結局布団に入ったのは0時になっていた。が、相変わらず咳が止まらなくて、1時間半ごとくらいに目が覚める有様。
 今朝になって、前に医者からもらった咳止めの薬が残ってないかと探したところ、一包だけ残っているのを発見した。だが、一包ではそうそう飲むわけにもいかないので、これは就寝時にとっておくとして、午後の外出時に咳止めの薬を薬局で買ったよ。
 そんなワケで、今日の午前中は急ぎの仕事のほうをチマチマとやり、午後は丸1週間ぶりに喫茶店へ行ってもう1つの仕事をやっていた。今のところ、こうやって作業を区分けした方がよさげだな。
 でもって、買い物をして帰宅。とにかく、昼間は夜ほどではないが咳がどうにも止まらないので、体調を考えてウォーキングも自粛せざるを得ない。
 今日の喫茶店での作業は、1週間ぶりと言うことに加えて体調もまだ万全ではないことを鑑み、リハビリがてらいつもの70%程度の時間で終わらせた。
 帰宅後、常々やろうと思ってすっかり失念していた、「市川創士郎」のペンネーム廃止のお知らせを作成。近年は使う機会もまったくなく、これ以上このペンネームを維持していても無駄と考えて、今年の後半からずっと考えていたんだよ。タイミングとしては、年の変わり目がちょうどいいだろうし。
 本来なら、12月に入ってすぐにでもお知らせを作って意思を表明したかったのだが、今月の戯れ言を見てもわかるとおり立て続けにいろんなことがありすぎて、すっかり忘れていたわ(^^;
 夕飯後に咳止めの薬を飲んでみたのだが、やはり市販薬は効力が弱いのか、咳が完全には止まらない。やはり、就寝時には医者からもらった最後のリン酸コデインに頼るしかなかろう。明日も止まらなかったら市販薬を飲み続けてみて、それでもダメなら医者に行くしかあるまい。なんとか、そこまでに収まってもらいたいものだ。
 そういや、今年の1月の前半から中盤にかけても、風邪をひいて似たような酷い咳に悩まされたんだよな。今年は、風邪に始まり風邪に終わる1年か? なんだかなぁ。

2007年12月22日 土曜日
 夕べは、なんと19時半に布団に入って寝入ってしまったのだが、尿意で頻繁に目が覚めた。しかも、何時間も寝た気がしていたのに、実は1時間半くらいしか経っていないという。下関のホテルでも、同様の症状が起きたなぁ。
 でさ、0時頃に目が覚めたとき、体温を測ってみたら38.2度になっていた。マズイとは思いつつ、どうせ友人との飲みをキャンセルしたので、解熱作用のある頭痛薬を飲まずに汗をかくに任せてそのまま何度も寝ていた。その結果、8時過ぎになって体温を測ったところ、ようやく37度を割りこむところまで下がっていたので、こうなりゃ遠慮はいらんと頭痛薬を飲んでまた一眠り。
 11時になって起きたときには、咳こそやや酷かったものの夕べほど体調の悪さもなかったので、ようやく起き上がってパジャマから着替え。で、とりあえずネットやメールなどのチェックをして、それからちょっと買い物をしに出かけて、細かなものを買った。
 んで、ビデオチェックを軽くしたあと、夕方になって外出して打ち合わせ。
 いやな、昨日、友人との飲み会をキャンセルした直後に打ち合わせの話があってさ。とりあえず話をするだけなら大丈夫か、と思って予定を入れてしまったんだわ(^^;
 実際、打ち合わせ自体は30分程度のモノだったんだが、俺が現地に10分前に着いていて、先方は俺よりもっと前に着いていたのに、10分以上もお互い気づかなかった罠(^o^; 時間の無駄。
 とりあえず、思っていたより順調っつーか厳しいツッコミが入らなかったので、そのまま作業を進めることになった。が、これで本格的に2つの仕事を平行してやることになってしまった。ん〜、作業の割り振りをしっかり考えてやらんとイカンね。「二兎を追う者は一兎をも得ず」になったら、さすがにマズイから。
 でまぁ、17時半過ぎに現地を出たのだが、帰宅して飯を炊くのも面倒だったので、今日の夕飯は俺独自の手抜き鍋だけ。とりあえず、身体が温まるように少し仕様は変更したが、基本は手抜き(^^;
 そんな感じで、少しは体調も回復した……と思いたかったのだが、なんか体温が上がっている気がしたので、風呂に入る前に体温を測ろうとしたら手が滑ってしまい、買って2日目の体温計を割ってしまった(T_T) もはや、情けないのを通り越して、落胆のため息も出てこない。やっぱり、どっかまだおかしいようだ。
 そーいや、新刊の見本が到着。これで、発売は確定か。ふひ〜。
 今日も、とっとと寝たほうがいいな。ふう、まるで仕事にならんわ……。

2007年12月21日 金曜日
 夕べは結局、布団に入ったのが1時半になってしまった。で、4時前にトイレに起き、その後は夢うつつな状態で7時15分にまた目が覚めた。イカン、旅行中の早起きのクセが染みついている。
 とりあえず、体調もイマイチだったので、そのままさらに目を閉じ、ウトウトしながら9時前まで布団の中にいた。
 で、起きたはいいものの、咳と鼻水が相変わらずでな〜。午前中は、メールとかネットのチェックでほぼ潰れたのだが、その間も鼻をかみっぱなしで、咳をずっとしていた。
 んでさ、暖房をかけている割に、どうも妙に寒い気がして、体温を測ろうとした……あれ? 体温計がない! どーでもいいときにはすっ転がってるのに、肝心なときには見あたらないんだよな。
 なんて思いながら探したが、どうにも見あたらないので、買い物に出たついでに水銀式の体温計を購入した。これなら安いし、予備として取っておけばいいだろう。
 そんなワケで、今日は喫茶店に行くのを自粛し、15時前に買い物に出かけて、その足で接骨院に寄って帰宅し、体温を測ってみたら……37.8度orz アカン、平熱より1度以上も高いわ。そりゃあ、悪寒も感じるわね。よくもまぁ、とりあえずとはいえ平気な顔をして動きまわっていられたものだ。
 ということで、明日の友人との飲み予定もキャンセル。これじゃあ、歌えもしないし飲めもせん。しかも、大人のマンガ祭りどころじゃないからな。
 とにかく、こんな状態では頭が仕事モードになどならんわよ。切羽詰まっていたら、頭が少しボケていても1行でも先を書こうとするかもしれんが、基本的にそんな状態で書いたものなんてあとから見直したら全ボツになりそうなレベルだろう。だったら、休んだほうが結果はいいはず。
 はぁ、だんだん身体がダルくなってきたわ(-_-; 薬を飲んで、とっとと寝よう。

2007年12月20日 木曜日
 朝は、7時前に起床。う〜ん、日を追うごとに起床時間が早くなっているぞ(^^; まぁ、今回はホテルの宿泊プランに朝食がくっついていたんで、それを利用するために早起きしたんだが。
 でさ、地下にあるレストランに行ってバイキング形式の食事をしたんだが、長崎チャンポン食いまくりを狙う俺としては、こんなところで腹をふくらませるわけにはいかないので(^^;、朝食はかなり軽めにしておいた。まぁ、メニュー自体もそう大したもんじゃなかったし。しょせん、タダだよ。
 しかし、落ち着いた食事ってワケにはいかなかった。というのも、3つほど離れた席にいた男が、クチャクチャクチャクチャクチャクチャ……と、食事を食む音が気になってな。よく噛んで食べるのは、身体にいいから結構。俺みたいに流しこむ感じの食事は、あまりよくないって分かっているんだよ。だけど、音を派手に立てるな〜!!!ヽ(`Д´)ノ
 とはいえ、そんなことを見ず知らずの人間に言えるほど俺も大胆じゃないので、ガツガツと食事を済ませてとっとと部屋に戻ったのだ(^^;
 その後、軽くネットやメールチェックをしてからホテルをチェックアウトし、コインロッカーに荷物を預けて路面電車の1日乗車券を購入。んで、路面電車を利用してまずはグラバー園に行ってみた。
 なんつーかさ、当時としてはすごく贅沢だったんだろうね。あれが今でも人の住める宅地だったら、ホントに大富豪の家だったことだろうよ。
 まぁ、異国情緒っつーか、日本的な部分があまり感じられなかったことに、出島に行ったあと改めて思い至ったワケで、時代を感じたわ。
 グラバー園を一通り見たあと、オランダ坂に行ってみたが、なんか普通の生活道路? 範囲が書いてあっても、どこからどこまでがオランダ坂なのかよく分からんかった(^^;
 で、さらに移動して新地中華街へ行き、昼食に2件の店で長崎チャンポンのはしご。
 う〜ん、スープの味の違いは微妙に分かるんだが、何がどう違うのかイマイチはっきりせん(^^; しょせん、俺のダメ味覚では食い比べをしても無駄なようだ(^^;;;
 そんな思いと、連続でチャンポンを食ったことでなんか飽きた(^^;こともあって、ちゃんぽんの食い歩きはこの2件でやめて、ちょっと思案橋のほうに足を伸ばしてみた。
 かつては遊郭のあった場所の入り口で、その橋のところに来た人が「行こうか、行くまいか」と迷ったことから、思案橋と言われるようになったらしい。
 しかし、今やその面影はどこにも残っていない。ぶっちゃけ、パブとかスナックらしき店が何軒かあっただけで、ソープとかイメクラみたいな風俗店もないもん(^^; 未だに風俗街の吉原あたりとは、やはり違うのね。
 そんなことを思いつつ、思案橋をあとにして出島へ。
 出島と言っても、今や周囲は埋め立てられていて、当時のように海に面してなどいないわけだが。まぁ、それでもなんとか当時の姿を再現しようと、現在も復元工事の真っ最中だったりする。
 とりあえず、再現された出島の建物などを見ていてちょっと笑ったのは、畳に洋風の習慣を持ち込んでいて、かなり違和感があった点な。俺は、外国人のための居住地だから、もっと西洋風な感じかと思っていたんだが、まさしく和洋折衷。
 そんな当時に思いをはせつつ、1時間ほどかけてゆっくり散策して、出島をあとにした。
 ただ、このあたりで俺は足にかなり限界を感じつつあった。いやな、ここ最近はマシだったんだが、ちょっと前までふくらはぎの張りが抜けなくて参っていたことがある。あのときのようなふくらはぎの張りを、また感じていたんだわ。
 さすがに、3日連続で日常の倍以上となる1万5千歩近くも歩いていたせいで、足のほうも悲鳴をあげたのだろう。しかも、長崎市内は坂が多いから、けっこう疲労が溜まりやすいんだわ。
 そんなワケで、出島を出たあとちょっと出島ワーフに寄ったんだが、とっとと平和公園に向かった……また階段かorz 平和公園って、高台にあったんだな。
 なんてことを思いつつ、平和公園を見物し、長崎原爆の爆心地に移動、そこから長崎原爆資料館に行って、原爆の破壊力のすさまじさを物語る品々を見てきた。これで、広島と長崎の2つの原爆の資料館を見たことになる。とはいえ、じゃあ俺が核アレルギーになるかっつーたら、そんなことはないワケで。俺には、俺なりの考えがあるワケで、それはこういうモノを見ても揺らがない。
 この時点で15時半をやや回った時間だったんだが、足がそろそろ限界に達していたこともあり、これ以上の観光は無理と判断して長崎駅前に引き上げた。そして、高速バスで長崎空港へ。
 いや〜、有料道路を使っての移動だったが、ホントにトンネルの多いこと。長崎市って、マジで山に囲まれていたんだなぁ、としみじみ感じたり。
 で、40分弱の時間をかけて空港に到着し、大きな荷物を預け、とりあえず夕飯にトルコライスを食べてみた。
 なるほど、「大人のおこさまランチ」と言われる所以が、よく分かったよ(^^; ボリューム的には、ランチとして食うぶんには申し分ない感じ。
 ちなみに、今回俺が食った店ではトンカツが乗っていたが、これがハンバーグだったりポークソテーだったりグリルチキンだったりと、店によってバリエーションが違うらしい。次に長崎に行くことがあったら、トルコライス食い歩きの旅というのも……いや、ボリュームや味的に考えたら、1日2食が限界かもしれん(^^;;; あと、卓袱料理ってのも無視したから、これも食ってみたいかなぁ。
 けど、俺は沖縄以外に同じ場所へはそうそう行かないから、連れができたらって感じか。ふっ、それじゃあ一生ないかも(T_T)
 それはともかく、あの店のトルコライスは微妙に物足りなさがあったので、別の店に行って五島うどんを食べてみた。ミニサイズだけど。こっちは、うどんとしては細めだったが、こしがあって美味しかった。汁は関西的……というか、ほとんどすまし汁みたいだった。味はしっかりしていたけどな。
 とにもかくにも、腹を満たしたあとは土産など買って、手荷物検査を受けて搭乗ゲートへ。
 さすがに仕事をする気にはならなかったので、このホームページの文章の原爆資料館のあたりまでを書いていた。その間に、19時半発の予定が15分遅れになるというアナウンスがあったのだが、搭乗手続き自体は通常の時間に始まった。
 いや〜、ケータイ一つで全部済むのは(以下略(^^;
 でまぁ、予定通りに15分遅れで飛行機は動きだし、さらに若干の待機時間はあったものの、無事に長崎空港を出発した。
 水平飛行に入るまでは、もちろん何もできないのだが、今回は水平飛行に移ってからパソコンを広げ、こうして文章を打ち込んでいるワケだ。
 これができるってことは、次に沖縄へ行くときもパソコンを使えるってことだ。パソコンを使用できるなら、沖縄までのやや長めの飛行時間も苦にはならない。むしろ、仕事以外にやることがないから、集中してはかどりそうな気がする(^^;
 今のレッツノートのバッテリーなら、数ヶ月先に多少劣化していたとしても4時間は使えるはず。だとすれば、ほぼ飛行機に乗っている間も問題はないだろう。
 と、ここまで飛行機内で書いた文章。さすがに、帰りの飛行機は疲れていて、仕事をしようって気はならんな。こういうどーでもいい文章なら、ダラダラと書いていられるんだが。
 そんな感じで、羽田空港に予定より10分遅れで到着。しかも、到着後、バスで移動するところに着いた上に、なんか端から端に移動させられた感じでな。妙に時間がかかった気がした。まぁ、そのぶん手荷物の受け取りの待ち時間はほぼなかったが。
 で、荷物を受け取って帰宅の途についたのだが、なんと今度は俺が乗る路線で車両点検のため遅延発生と……まぁ、結果的には俺が電車に乗った時点で動くようにはなっていたから、問題はなかったんだけど。
 で、帰り着いたのは23時近く。ただでさえやや遅めの飛行機だったのに、諸々あってますます遅くなったわ。
 それから、メールを軽くチェックしたり入浴したりしていたら、あっという間に0時過ぎ。もうね、他のことなんてなんもできんよ。
 ってなことで、俺の下関〜佐世保〜長崎を巡る旅は終わりを告げた。
 今回、俺にとってラッキーだったのは、旅の最中に一度も雨に祟られなかったことだろう。なにしろ、俺は旅行をしていると、(特に最終日に)雨が降る確率がやたらと高くてな。「旅行中に一度は雨を呼ぶ男」と言ってもいい感じだったが、なんとかそのジンクスは破られた。この調子で、晴れ男になりたい(^^; 
 ただ、初めて風邪と旅行が重なったのは、どうにもいただけなかった。結局、旅行中はマスクをほとんど外せなかったし(T_T) 油断したよなぁ。

2007年12月19日 水曜日
 今朝は7時に起床。相変わらず喉と鼻の調子はイマイチだが、総じて見れば回復傾向にある実感があって、とりあえずは一安心。
 しかし、まだ油断はできないので、今日も基本的には外の移動中はマスク姿だった。
 とにかく、ニュースを見ながらちょっとメールのチェックなどしつつ外出の準備をしていて、実際にホテルをチェックアウトしたのは8時半過ぎ。朝食抜きでこの時間になってしまうとは、やはりメールに時間を取られているのを実感するね。
 ホテルをチェックアウトしたあと、佐世保駅のコインロッカーで荷物を預けて、まずは少し歩いて朝食に「ピア・カフェ」の佐世保バーガーを食べた。
 その際、戯れ言を見たお袋から電話がかかってきたわ。俺が風邪を引いて、体調を崩し気味だったことを心配していたが、前述の通り喉と鼻がイマイチなくらいで、あとの体調に問題もないことを伝えた。
 そうして、バーガーを食ったあと、今度はレンタルサイクルを借りる手続き。JR九州の一部の駅では(佐世保駅も含む)、電動アシスト自転車のレンタルサイクルのサービスをやっている。本来なら、原付あたりを使うべきなのだろうが、金額的にほぼ1日使って1000円以下(JR利用割引)なのは自転車ならでは。
 ついでに言うと、電動自転車って乗ったことがなかったんで、どんなもんか実際に確認してみたかったってのもある。
 しかしな、JRの窓口の人が教えてくれた場所がレンタカー屋だったため、最初はそこで自転車を借りられるとは思わなくて素通りしちゃって「自転車のレンタルはどこだ〜?」って探したよ。だってさ〜、自転車のことは入り口のところに小さく「貸し自転車あります」って書いてあるだけなんだもん。せめて、「楽チャリ」ののぼりくらい出しておいて欲しいよ。
 ついでに言うと、あまり借りる人がいないのか(冬の平日ってこともあるだろうが)、俺は1号車だったぜ(^^;
 そんなワケで、レンタルサイクルに乗って西海パールシーリゾートに向かった。ここにある「ラッキーズ」が、次の目的地よ。
 だが、俺はしばらく自転車に乗っていなかったワケで、ウォーキングで少し締まった己の体力をいささか過信していた。自転車をこぎ出してすぐ、太股に疲労感が(^^;
 しまった、電動アシスト自転車は漕ぐ力を補助してくれるものの、根本的な体力不足をフォローしてくるワケではないのだ(^^;;;
 ただ、すべてを自分で漕ぐよりは、明らかに楽だった気がする。まぁ、最初はアシストされる感覚にかなり戸惑うがな(^^;
 そんなワケで、ダラダラと走りながらも、とにもかくにも目的地に予想より早めに到着した。そして、少しぶらついてから「ラッキーズ」のステーキバーガーを食べてみた。佐世保バーガーとしてはやや小振りで、塩気も若干がきつかったが、ステーキ肉を使っているのにスルッと噛み切れる柔らかさには、分かっていたけどちょっとビックリしたわ。
 で、「ラッキーズ」で少しゆっくり休んで、それからまた移動開始。で、近くの「ベルビーチ」に入ってテイクアウトでかきバーガーを注文。
 かきバーガーは外で食ったんだが、かきフライが2つだったか3つだったか入っていて、なかなか面白い味だった。なんと言っても、バーガーにわかめが入っているのには、ちょっと驚いたよ。
 冬季限定メニューだそうなんで、この時期に佐世保に行くことがあったら、寒ブリバーガーとどっちかを選んで食べてみるのも一興かも。
 それから、さらに来た道を戻っていって、途中で曲がって次の目的地のハンバーガー屋の「ヒカリ」へ。ホントは、「ジャンボチキンスペシャルバーガー」を食べようかと思っていたのだが、さすがにちょっと腹がいっぱいになりかけていたので、普通の「スペシャルバーガー」を注文。
 前述の2箇所の店は、ガイドブックなどにも乗っている割に、俺が最初の客って感じでちっとも並んだりしなかったのだが、「ヒカリ」だけは時間がちょうど昼にさしかかっていたこともあって、かなり人が待っていた。まぁ、「ヒカリ」は佐世保バーガーの代表格みたいにも言われている店だから、この人気もうなずける。実際、美味かったし。
 ただ、さすがにわずか4時間弱の間に4件のバーガー屋で諸々のバーガーを食べていると、いい加減に飽きてくる(^^;
 「そろそろ、佐世保バーガーもいいかな?」と思いつつ、商店街をダラダラと自転車を押しながら移動して、ちょいと夕べ飲んだ居酒屋の前へ。
 実は、こんなお気楽なことをやりつつも、俺の心のなかには1つの不安があった。いやな、愛用の手帳が見あたらなくなっていたのよ。
 もちろん、こんなことを書けるのも、結果的にちゃんと見つかったからなのだが。なかったら、いくら自虐ネタが好きな俺でも、あまりに情けなくて書けんわよ。
 事の発端は、夕べ飲みに行くとき、手帳をコートのポケットに入れたことから始まる。旅行中はいつもウェストバッグに入れているのだが、コートを着ているといささか不格好だからと、手帳だけウェストバッグから出したんだ。それは、しっかり覚えていた。
 で、「ピア・カフェ」でバーガーを食いつつ、ちょいと記録をメモしておこうと手帳を取り出そうとしたところ、見あたらなくて焦ったわけ。あわてて、持っていたリュックの中とかコートのポケットも探したが、どこにも手帳はない。
 もちろん、コインロッカーに入れた大きなリュックの中に放りこんだ可能性もあったが、どこかに忘れた可能性もある。だが、ロッカーは1回で300円だからな。いくら非常事態とはいえ、このためにわざわざ開けて確認するのは、さすがにちょっとな。
 で、どこかに置き忘れたとしたら、昨日立ち寄った飲み屋かバーガー屋のどちらかに限られる。ただ、バーガー屋はともかく、飲み屋は夕方以降しかやっていないので、電話での確認のしようがない。まして、俺は今日中に長崎へ移動するし、移動にかかる時間を考えると開店してから取りに行くのもいささか厳しい。
 そんなワケで、一応は電話をかけてみたが、まったく応答はなかった。やはり、開店1時間前くらいにならないと店の人は来ないのか。
 ただ、もしかしたらと思って店の前に行ってみたんだよ。しかし、さすがに店のシャッターはしっかり下りていて、人の気配もなし。
 こうなったら、ロッカーからリュックを出して確認し、手帳が見あたらない場合は店が開店してから確認の電話をするしかない。それで店に手帳があったら、着払いででもウチに送ってもらおう。
 そう開き直って、ついでにもう一件の佐世保バーガーの店「リベラ」に行き、テイクアウトでハンバーガーを注文(^^;(←おい)
 それから、自転車を戻して駅に入り、ロッカーからリュックを取り出した。
 で、とにもかくにも中をガサゴソと漁ってみたら……あったぁ!\(^o^)/ 手帳は、リュックの中から無事に発見されたのである!
 いやはや、なんででかいリュックの中に入れちゃったのかなぁ? それに、油断しないでちゃんと確認するべきだったね。確認を怠るから、こういうミスを犯す。
 なんて教訓を学びつつ、これ以上は佐世保にいても仕方がないので、13時半前ながら早々に長崎へ移動することにした。予定では、14時半頃のシーサイドライナーに乗って動くつもりだったんだが、とにかく佐世保→長崎の移動に1時間半ほどかかるんで、早く動くに越したことはない。
 で、「リベラ」で買ったバーガーを待合室で食べた。これが、ホントのハンバーグをバーガーにしたようなモノで、なかなか食い応えがあったぜ。
 そんなワケで、俺は昨日の夜に1件、今日は5件の合計6件の佐世保バーガーを堪能した。まぁ、ほぼ目的は達成できたと言っていいだろう。これが、俺の胃袋の限界だ(^^;
 個人的な好みで言えば、「ビッグマン」と「リベラ」のバーガーが気に入ったかな? 他の店も美味かったんだけど、味覚的な好みとか何を好みの基準とするかという感性の差で、俺はこの2件に軍配をあげておく。
 とにもかくにも、13時31分発のシーサイドライナーに乗った俺は、長崎へと移動を始めたのだった。
 しかしなぁ、長崎や佐世保は非常に有名だと思うのだが、その間をつなぐ電車が未だに電化されていないってのはどうよ? しかも、佐世保から長崎まで実に1時間34分。新幹線を作りたい、という気持ちはよく分かる。というか、観光地として長崎県全体を売るには、交通網の整備は絶対条件だろうよ。
 それはともかく、移動時間中はとにかく暇なので、本来はあまりやりたくない膝上にパソコンを置いての作業をしていた。そのおかげか、あまり時間のことは気にならず、なんともあっさり長崎に着いた感じがしたわ。はかどりはしなかったが、とりあえずやってみるもんだ(^^;
 でもって、長崎駅に降り立ってコインロッカーの位置などを確認すると、俺はすぐにホテルにチェックインした。さすがに、自転車での移動で肉体的に、手帳の一件で精神的に疲れてしまったので、少しのんびりしたかったってのもある。長崎の街は、明日ゆっくり見ればいいからな。
 んで、2時間ほどネットとかメールとかチェックしながら休んで、それから食事へ。まぁ、佐世保バーガーをあんだけ食べても、やっぱり夜になれば腹は減るモノだ(^^;;; 
 しかし、しばらくフラついてから飲み屋に入ったものの、いざ食べ始めたらあっという間に腹がふくれてしまった。まぁ、注文したモノが刺身の盛り合わせだったのも間違いだったのかもしれんが(^^; あるいは、実のところ腹が減ったように感じたのは錯覚で、さすがに佐世保バーガーを数時間で5個も食ったせいで、すべてを消化しきるのは困難だったのかもしれない。
 とにもかくにも、みるみる満腹近くになったため、飲み屋をあっさりと退散したのだが、このままだと夜遅くに腹が減りそうな予感も。で、どうせだからと近くの中華料理屋で長崎チャンポンを食った。明日も、またいろいろと食い歩くつもりだから、まずは1件目〜(^^;
 ホテルに戻ったあとは、さすがに原稿を書いたりする気力はなくて、入浴後にロケフリでビデオチェックをしていた。
 ああ、明日の夜には、もう帰らなくてはならないのか。いつも思うことだが、夢の時間があっという間に〜(T_T) まして、今回は前半に急ぎの仕事があったからな。原則、移動時間のみやっていたとはいえ、やはり精神的には休んだ気がしなかったわね(^^; 急ぎじゃないほうは、とりあえず間に合う範囲でのほほ〜んと進めていればいいんで、まだ気楽だったんだが。

2007年12月18日 火曜日
 夕べは参った。頭痛に負けて23時にはベッドに入ったのだが、かなり寝たと思ってトイレに起きたらまだ0時半だし、その後も何度となく尿意に見舞われて1時間半おきくらいに起きていたよ。おかげで、途中から寝た気がしなかったわ。
 ただ、夕べはどうも感覚的に微熱が出ていた気もしたのだが、とりあえず寝ている間に汗をかなりかいたので、朝にはかなり楽になっていた。頭痛薬も飲んじゃったしな(^^;
 そんなワケで、7時過ぎに起床してからは、喉の調子こそイマイチだったがほぼ回復したので、まずは朝シャワーで汗を洗い流した。
 でもって、軽くネットなどしてからホテルをチェックアウトし、でかい荷物を下関駅のコインロッカーに預けて唐戸市場へ。
 唐戸市場に着くなり、まずは腹ごしらえとばかりに食堂に入ってふく刺し定食を注文。いや〜、朝からふぐとは、なんたる贅沢(^^; しかも、あの食堂はふく刺し定食が1100円と格安だからな。堪能させてもらったよ。
 その後、今度は船に乗って巌流島へ。巌流島は、言わずと知れた宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦の地である。俺は、別にこの二人にそれほど強い興味があるワケじゃないのだが、せっかく近くにあるなら寄らなきゃ損々(^^;;;
 巌流島は、昔は舟島といって船の形をした小さな島だったのだが、今は造成されて大きさも当時の3倍くらいあるとか。
 また、現地に行ってみると陸が近くて、水平線の彼方から武蔵を乗せた小舟が現れて……という構図が、実は絵面上のものでしかないのだろう、としみじみ思ったね。いや、そういうのは、もしかしたら俺の思い違いかもしれないし、角度にもよるとは思うが。ま、俺の認識なんて、そんなもん(^^;
 ちなみに、九州側の門司も、見えるくらい近かったので行ってみたかったのだが、さすがに時間的な余裕がないために断念した。
 ところで、島には行ってすぐのところにある、武蔵と小次郎のことを書いた立て看板っつーのかな。あれの日本語の下手くそさが、すんごく気になったぞ。朱を入れて、もっと読みやすくなるように書き直してやりたかった(^o^; そんな無粋なことはしないけど。
 とりあえず、巌流島をブラブラと30分くらい見たら、もう飽きたので(^^;とっとと船に乗って唐戸に戻り、しばらくブラついてから昼食。ホントは、市場内の寿司屋に入ろうと思っていたのだが、これがまたグチャ混みで外まで人が並んでいたので断念した。で、代わりに近くの回転寿司に入って寿司を堪能した。
 腹ごしらえを済ませたあと、また下関駅に戻り、13時13分発の電車に乗って、次の目的地の佐世保へ向かうことにした。
 これがまた、いったん小倉に行き、そこから博多行きの特急ソニックに乗り、博多からさらに特急みどりに乗るという感じで、しかも乗り継ぎの時間的な余裕がなくて、かなり慌ただしかったぜ。事前にお茶を買っていたからよかったが、そうでなかったらちょっと喉が大変だったかもしれない。
 とにもかくにも、博多で特急みどりに無事乗った俺は、パソコンを広げてできることをやることにした。特急も揺れてパソコンを使うのはいささか辛いのだが、時間がないから仕方がない。
 おかげで、どうにか急ぎでやるべきことは佐世保に着くまでにできたよ。もう片方は、さすがにやる気にならなかったわ(^^;
 そんなこんなで、佐世保に到着し、すぐにホテルにチェックイン。んで、プロットをザックリ見直してメールで送信っと。本来なら、プリントアウトして朱入れしたいところだが、そんな余裕はないからね。
 プロットを送ったあとは、外出して飲み屋に行って飲んでいたよ(^^; ただ、ガイドブックにも出ているような店だったのだが、ぶっちゃけイマイチだったわ。他の魚はともかくイカの鮮度は明らかによくなかったし(函館で鮮度抜群のモノを食っているからな)、自家製味噌を使っているというかき鍋も、ぬるいわ、味が濃すぎて甘いわでイマイチ。風邪で俺の鼻が死んでいたことを差し引いても、あれを「美味い」と言う人がいたら、俺はその人の感性を疑う。少なくとも、俺の味覚とはまったく合わないだろう。
 なんてことを思いながら、少し腹に余裕を持たせて店を出て、それから佐世保バーガーのうちベーコンエッグバーガー発祥の店と言われる「ビッグマン」に向かい、ベーコンエッグバーガーを購入。ただ、さすがにすぐ食う気にはならなかったので、ホテルに持ち帰って入浴後に食ったのだが。
 こっちは、さすがに美味かったよ。特に、ベーコンの味がしっかりと染み出して、看板に偽りなしって感じだった。
 さて、明日の昼間は佐世保バーガー食べ歩きの旅をして(^^;、それから長崎へと移動する。いったい、長崎へ行くまでに何軒の店を制覇できるのか? 胃袋との戦いである(^o^;

2007年12月17日 月曜日
 そんなワケで、いつも学校へ行くより少し早い時間に家を出て、羽田空港へと向かった。
 が、起きたときから喉の調子が悪く、ちょっと参ってしまった。よりによって、出発当日に風邪かよ(T_T)
 結局は、マスクをして出かけたさ。どのみち、喉の乾燥が気になっていてマスクを持っていくつもりだったから、渡りに船という気もするが。
 でもって、電車に乗ってから、ギガビートに録画しておいたビデオのチェックをしていようと思った……のだが、ギガビートの電源がなぜか入らないというトラブルに見舞われた。結局、空港に着いてから根っこの電源を入れ直すことで解消したが、ビデチェック1本分以上の時間を無駄にしたわ。立っていたから、仕事もできなかったし。
 ってなこともあったが、とにもかくにも羽田空港に到着し、初めてのスキップサービス。いや〜、携帯電話をかざすだけですべての手続きができるってすばらしい! 航空券を発券する手間もないし、ホントに手荷物預けから搭乗までスルスルと進めてよかったわ。
 まぁ、逆に言えばケータイがないと何もできないってことでもあるが。絶対になくせないよな。
 さて、いつもなら1時間くらい時間の余裕があって、弁当を食ったりするところだが、今回は飛行機の出発が10時半で手荷物検査場を通ったのが10時過ぎという状態だったので、弁当を買うこともしないで搭乗口へと向かった。
 んで、飛行機に乗りこんで、予定通り10時半に出発。
 機内では、機内雑誌など読みつつ、主には仕事をしていた。ちょいと急ぎなこともあり、時間のロスは最小限にとどめなくてはならん。結局、パソコンは無線LANさえ切っていれば使えるようだったが、あのテーブルの位置ではノートパソコンを乗せて仕事はできない。それに、膝の上というのもいささか辛いので、どのみち機内でパソコンを使うのは無理だった。
 そこで、俺はとりあえず原稿をプリントアウトしておき、機内で朱を使って追記・修正する方法を採ることにした。この判断が大正解で、博多までの2時間弱の飛行時間の間に、かなり作業を進めることができた。さすがに疲れて、後半の20分くらいはギガビートのビデオチェックをしていたが。
 飛行機は、若干遅れたものの無事に博多空港へと到着。そこから、俺は博多駅に移動し、腹ごしらえをすることにした。
 まずは、特許製法を持つという伽 本舗の焼きカレーを食うことに。前回、博多に来たときは焼きカレーなんて目になかったからな。今回は、ちょっと食ってみようと思ったんだ。
 で、食った感想だが、俺が「カレードリア」と称して作っていたものと、そう大差ないわ(^^; もちろん、味は悪くないし、ランチなら値段もリーズナブルだと思う。けど、いったいどこが特許製法なの? 焼いているのに、卵の黄身がトロトロなあたりかしらん?
 なんてことを思いながら食い終えたが、かなり腹が減っていたためにイマイチ物足りず。で、やっぱり博多に来たらラーメンでしょう、ということで、適当なラーメン屋に入った。が、店に入って客がいないのを見て、「ダメかな?」と思った。結局、味的には普通の博多ラーメンを食べられたが。
 それから、見かけたドラッグストアでのど飴を買い、ソニック号を使って小倉へ。そして、そこから電車を乗り換えて目的地の下関に到着!
 まずは、コインロッカーの場所を確認してからホテルにチェックインして、ネット環境の構築。Windowsの更新などがあり、なんだかんだで30分以上も費やしてしまったわん。
 そんなわけで、気がついたら16時半近かった。しかし、東京ではそろそろ日が暮れようかって時間なのに、下関は明るい。いや〜、日本は広いわ(^o^;
 ま、とにかくそんな感じで、いったん外出して、適当にぶらついて腹を減らしてから居酒屋へ。
 とりあえず、ふぐ三昧でちょっと珍しいものを3種類ほど食って、ひれ酒など飲んだり。
 でもってホテルに戻り、1時間ほど仮眠を取ってから入浴し、メールなどしてから仕事をやろうとした……が、頭痛と眠気に襲われてしまい、どうにも作業が続けられなかった。
 かろうじて半分ほどはやったが、あまりにも心身が辛くなってきたため、作業を中断して寝ることにしたわ。旅行中に、体調を崩すとは。ふひ〜(-_-; 

2007年12月16日 日曜日
 午前中は、洗濯をしたあとテレビ視聴をしないでちょっとお出かけ。ついでに、近くのスーパーへ行って今日の夕飯に駅弁を購入した。洗い物を増やしたくないのだ(^^;
 午後は、喫茶店に行っていつも通りに原稿書き。とりあえず、できることをできる内にやっておかないと。
 帰宅後は、旅行の準備を本格化。しかし、旅行用のリュックに妙に隙間があるのが気になる(^^; なんか、とんでもない忘れ物をしそうで怖いのだが(^o^; ま、どうせ日本国内だから、ちょっとしたものなら向こうで買えば済むけどな。
 夜、入浴中に電話がかかってきた。が、お風呂ビデオをやっていたこともあって、風呂から上がるまでまったく気づかず(^^; 上がってから、慌ててかけ直したよ。
 ということで、明日からまた旅行に行くぜ! 今回は、なんと下関〜佐世保〜長崎というルートを三白四日で巡る強行軍。しかも、下関へ行くのに福岡空港を使うから、博多にもまた寄れるかも?
 ただ、今回は仕事を2つ抱えての旅行だから、あんまりのんびりできない気がする(^^; 夜も、酒をたらふく飲んで適当に酔っぱらって……というワケにはイカンかもね。まぁ、昼間は可能な限り観光とグルメにいそしむけどさ(^o^;
 そんなワケで、もしかすると旅行中はホームページの更新が滞るかもしれない。まぁ、現地で見聞きしたこと、感動なんかはその日の内に記録しておきたいから、なるべく書くようにするけど。

2007年12月15日 土曜日
 今日は、なんとな〜くいつも通りの生活。旅行の準備をしなきゃいけないのに、ついつい原稿を書いたり他のことをやったりしていて、準備がまるで進んでなかったり(^^;
 そんなワケで、今日も喫茶店に行ったりウォーキングをしたりしていたが、昼飯がちょっと足りなかったらしくて夕方になって腹が減ってどうしようもなくなった。そこで、セブンイレブンでデミグラまんなるものを買い食い(^^; 俺がこういう買い食いをするなど、ちょっと珍しいわ。
 さて、明日は旅行の準備を本格的にしないとな。ま〜た、なんか忘れていきそうな気がする(^^;;;

2007年12月14日 金曜日
 若干、時間に余裕があったので更新。
 夕方までは、いつも通りの生活をしていた。ホントは、午前中に郵便物など出しておこうかと思っていたのだが、ついつい別のことをやっていてその余裕がなかった。まぁ、午後イチで出せれば問題ないわけだが。
 夜、学校まで行って飲み会。いや〜、皆さんが受付のほうで待っているとは。俺、てっきり講師の部屋に来ると思っていたから、誰も来なくて焦ったよ(^^;
 でまぁ、ホントは9人くらいになる予定が、立て続けに仕事などが急に入ったそうで、結局5人。それでも、飲み食いしながらいろんな話ができてよかった。やはり、こういう講師間のコミュニケーションを取る場は、年に2回くらいあってしかるべきだね。
 そんなワケで、21時半頃に帰宅し、入浴などしつつビデオチェックも。ただ、それなりに飲んでいるため、心身がいささかきつかったり。
 う〜ん、なかなか気持ちの切り替えができなくて、2つの仕事をうまく割り振れない感じ。けど、なんとかやらんと。 

2007年12月13日 木曜日
 今日は、朝から雨模様でかなり冷え込んだ。とはいえ、午後には雨も上がったので、普通に喫茶店へ出かけた。
 今やっているのは専門外のことなので、なかなかに難しいわ。しかし、関連がないワケじゃないし、なんとか頑張ってものにしたい。
 そうして、仕事に区切りが付いたところで喫茶店を出て、ウォーキングがてらちょっとホームセンターに寄り道……していたら、お袋から電話があって、また区役所の書類が必要になったとのこと。
 ただ、電話を切ってから気づいたのだが、俺は印鑑を持ち歩いていないのだ。そんなことで、ウォーキングを中止していったんアパートに戻り、それから区役所に行った。
 でさ、今回は前回とは少し違う書類も必要になったのだが、これが発行手数料が高くてさ。ちょっとビックリしたよ。ま、電子化前の古いものだと、どうしても高くなるんだろうが。
 夜、入浴を終えてパソコンを見たら、担当氏からメール。よし、小説のほうはプロットにOKが出た! これでやっと、本文の執筆に取りかかれる。
 けど、今晩はやらないで、もう1つのほうのこととか、諸々のメールなどを出したり。喪中の葉書を出したら、何人かの友人からお悔やみメールをもらったりしているんで、一応はお礼の返信を出しているんだわ。
 さて、明日から久しぶりに忙しくなるな。それに来週の旅行の準備もあるし、もうのんびりしている暇はないや。旅行中も、電車での移動時間に仕事をしていないと。飛行機の中でも、できればやっておきたかったんだが、今は国内線の機内でのパソコン使用が禁止されているようだからな。まぁ、飛行機の中でもやれることはあるだろうし、時間を無駄にしない方法を考えながら旅行も楽しむとしよう。
 いくつかの番組を捨てたことで、ようやくビデオチェックも追いついてきた。と言っても、チェックが1週間近く遅れてしまい、もう今晩には次の話が放送されるという作品もあるワケだが(^^; しかし、親父の通夜とか告別式をやったのって、まだ先週なんだよなぁ。ホント、もうずっと前の出来事のような気がするわ。
 明日は、学校の飲み会があるのでホームページの更新は休むだろう。帰りが遅くなるとは思わないが、文章を書く気力はおそらくないとだろうからね(^^; 

2007年12月12日 水曜日
 俺の今年最後の授業。ま、今年度はまだ1月と2月で実質1ヶ月程度残っているが、冬休み前としては最後だ。
 とはいえ、やったことはDVD視聴の2回目。これで終わらせるのもどうよ、という気はしたものの、他にやることもないからな〜(^^; ってゆーか、これすらまともにやらない生徒に対して、何を教えろと言うのかね? 単なる模倣では意味がないものの、過去の作品の物語構造を分析して自分のものにすることは、己の物語のバリエーションを増やすためにも有効だ、と俺は思うのだよ。
 で、俺はそれをやりやすいように工夫しているつもりなのに、生徒の側が笛吹けど踊らずではどうしようもない。ただ、これ以上簡単な内容にしたら、物語作りのイロハどころか、ただのお遊びになってしまうだろう。
 本来、こんなことは生徒たちが自主的にやっているべきことだと思うんだ。で、俺は生徒の書いた完全オリジナルの作品を裁きたいんだがな。それを求めたら、まともに取り組む生徒は2〜3人しかいないだろうよ。もはや、10年くらい前にやっていた裁判形式の活気溢れる授業など、夢のまた夢……。
 もっとも、なんだかんだとやることがある現状では、今の低調な状況もある意味でありがたかったりもするのだが。裁判形式は、こっちも事前準備とか諸々大変なんでね(^^; 忙しくなると、負担がでかいのだわ。
 授業後、ちょいと離れたバイク屋に行き、いよいよビッグスクーターの見積もり相談。う〜、諸々くっつけるとやっぱり高い……けど、覚悟していた金額に収まりそうなので、気持ちはほぼ固まった。今は、まだ免許を更新していないから無理だが(年末に髪を切るから、それ以後までお預け)、来年早々にでも動くとしよう。きゃっほうヽ(゚∀゚)ノ(←浮かれてる)
 ちなみに、バイク屋へ行く前に、すき家の「メガ牛丼」を食べてみた。味はともかく、ボリュームはそれなりに食べる成人男性にピッタリじゃないかな? 食いきれないほど多いってワケじゃないが、昼飯としては充分な量だと俺は感じたよ。通常サイズの牛丼は、正直微妙に物足りないからな。メガ牛丼なら、満足できる。できれば一緒にビールを飲みたかったが、それは自粛(^^;
 そんなこんなでバイク屋を出たあと、地元に戻って30分ほど喫茶店で仕事。さすがに、ちょっとバタついているから、少しでもやれるウチにやらんとね。
 はぁ、ビデオチェックがマジで追いつかない。とりあえず、先週分はかなり消化して今週分にも影響がないものも出てきているのだが、視聴し忘れている作品もあるんで、そこらへんを考えるとまだまだ厳しいわ。来週の旅行までに、果たしてすべての視聴を終えることができるのか? 我がことながら、ちょっと不安(^^; 

2007年12月11日 火曜日
 いつもなら授業なのだが、入れ替わりで明日になったため今日はお休み。ゴミの日でもないので、ついつい布団の中でのんびりしてしまったわ(^^;
 午前中は、プロットの結果待ちだったこともあって、メールやネットなどを中心にしていた。
 午後、喫茶店に出かけたものの大してやることもないので、出す見込みのない別プロットの作成をしていたよ。
 接骨院に寄って帰宅後、夕方になったときに会う予定の人から電話があり、会う時間を当初の予定より1時間遅らせて欲しいという話。ちょうどそのとき、プロットの修正についてのメールが来ていたので、これ幸いにOKしたよ(^^; おかげで、プロットについての返事もすぐに出せた。まさに、「人間万事塞翁が馬」だな(^o^;
 で、予定の時間になって出かけ、待ち合わせ場所へ。先方とは実に久しぶりにお会いしたが、昨日の心配は希有に終わり、お互いすぐに顔が分かったよ(^^; ホント、久しぶりにお会いできてよかった。いろんな話しもできたし、ご飯も奢ってもらったし(^o^;(←それはどーでもいい)
 そうして別れて帰宅したら、もうけっこうな時間になっていて、あとは風呂に入ってメールなんかを軽くチェックし、弔メールに対してのお礼を書いたりしていた。
 さて、明日の授業が終わったら、とりあえず1月まで学校のほうでやることはなくなる(あとは体験入学だけだ)。とりあえず、プロットのほうもあと少しって感じだし、冬休み中はけっこう忙しくなるかな? 
 けど、忙しいのはありがたいことだよ。まして、俺程度の実力の人間が(主に名前を伏せた仕事が中心とはいえ)この業界で仕事を10年以上やっていられるってのは幸運以外の何ものでもないだろう。その幸運に感謝しつつ、目の前にある仕事を着実にこなして信頼を得ていこう。
 あとは、ヒット作でもあればいいんだが、こればっかしは自分ではどうにもならんからなぁ(^^;

2007年12月10日 月曜日
 なんかさ〜、夕べは布団にはいるのが少し遅くなったからゆっくり寝ようと思っていたのに、また7時半くらいに目が覚めちゃったよ。習慣になっちゃったのかな?
 プロットは夕べのウチに送っておいたので、今日の午前中はちょっとのんびり。その代わり、午後がバタついた。
 まず、新宿の某銀行の支店に行き、ちょっくら諸々の手続き作業をしなくてはならなかったんだわ。ところが、よく確認しなかった俺も悪かったんだが、向こうの連絡不行き届きで「これで完了です」なんて言われてさ。「え? もう終わり?」と思いつつ、支店をあとにして買い物をしようとしていたら、ケータイに銀行から「まだ終わってません」電話がかかってきた。そんなんで、あわてて銀行に戻って残りの手続きを済ませた。おかげで、無駄な往復をしてしまったわ。
 結局、13時半頃に銀行へ行ったのに、すべての作業が終わったのは15時。待ち時間が長かったとはいえ、ちょっと疲れたわ。
 それから買い物をして地元に戻り、ちょっと買い物などしたあと区役所に寄って印鑑登録の手続きをした。いやな、俺っていわゆる実印ってのを持っていなくてさ。なんか、親父絡みで今後、印鑑証明の必要があるかもってことだったから、手続きをすることにしたんだわ。その際、判子を逆に押してしまったのはご愛敬(^^;
 ところが、そうして印鑑登録証のカードが出来上がるのを待っていたとき、お袋から区役所絡みの用件の電話がかかってきた。いやな、俺が住んでいる区って実は亡父の本籍地があるところだったりするので、区が発行する書類なんかは俺が取ることもできるんだわ。しかも、運良く俺は区役所にいるときた(^o^;
 そんなワケで、印鑑登録証を受け取るなり、今度は別の書類を受け取るための手続きをしていた。どーでもいいが、俺は親父の死亡を12月1日と認識していたが、よくよく考えてみれば日付をまたいだ午前1時の死亡だから、正確には12月2日なんだよな(^^; つい、間違えちゃうわ。
 なんてな感じで、全部終わって帰宅したのは、もう17時を過ぎようかって頃で、さすがにいささか動きすぎて疲れてしまったわい。
 だが、まるで俺が帰宅するタイミングを見計らったかのように、今度はまったく別の用件の電話がかかってきた。なんたるタイミングの良さ。
 で、そっちはすんごく久しぶりの方からの、ちょっとした仕事の……というかヘルプの依頼だな。まぁ、幸か不幸か今はプロットの結果待ちで急ぎの仕事もないので、引き受けることにした。なんか、かなり急いでいるみたいだし、旅行の移動中にやることができると思えばちょうどいいかも?(^^;
 とりあえず、明日緊急に会うことになったが、顔を覚えているかちょっと不安もあったり(^^; そろそろ、10年近くご無沙汰しているからなぁ。しかし、一昨日大学の連中と会ったときも、顔を見た瞬間に思い出したし、大丈夫だろう。おそらく……(^^;;;
 その用件を終えたあと、今度はお袋に電話をして、取得した書類をどうするかの確認と雑談。親父が死んで1週間が過ぎたものの、まだ告別式から5日しか経っていない。しかし、色々やっていたら、もう告別式すら数週間も前の出来事のような錯覚を抱いてしまう。俺もそうだったのだが、お袋も同じ感覚になっていたらしい。
 今度、実家に行くのは年末になりそうだが、向こうでもやることが大量にあるわねぇ。大丈夫か?>俺 
 というか、今のままだとバイクを買いに行く余裕があるのだろうか? いずれにせよ来年の話だが、仕事とそれ以外のことで、ちょっと忙しくなるかもしれないからなぁ。
 夕飯後、体重を計測してみたところ、ようやく親父の葬儀前の水準に戻ってくれた。このところ、なんだかんだで飲み食いする機会が多かったから、日曜日はちょっと重たかったんだよね(^^; 今日は、思いがけずけっこう歩いたから、おかげで戻ったのかもしれない。

2007年12月08日 土曜日〜2007年12月09日 日曜日
 8日の午前中は、メールやネットのチェックをしたあと買い物……に行こうとして、宅配の再配達を午前中に頼んでいたことを思い出した(^^; 危うく、出かけてしまうところだったわ。
 んで、とりあえず荷物が来てから買い物に行き、帰ってきてすぐに体験入学のため外出。
 体験入学は希望者1名だったのだが、なんというか何故に俺の科の体験入学を希望したのかよく分からない人で、いつもより30分も早く切り上げることになった。まぁ、ある意味でラッキーだったんだが。
 そんなワケで予想より早く体験入学が終わったので、いったんアパートに戻って荷物を置き、新宿に向かってまた出発。
 新宿では、ちょっとやることがあったのでそっちの用事を済ませ、ついでに買い物でも……と思ったんだが、土曜日の夕方はレジが凄いことになっていたため、あっさり諦めた。どうせ、近日中にまた新宿に出るんだから、無理に買うことはない。
 でもって、友人と合流して大学時代の同期連中との飲み会へ。大学卒業以来になる面子もいて、ホントに懐かしくて楽しめたわ。
 で、もつ鍋を食ってから普通の居酒屋に移動してさらに話をして、23時過ぎに散会。
 俺はそのまま帰宅し、布団に入って爆睡。まぁ、4時くらいからはトイレに起きていたが。とりあえず、酒の限界量を見極めて途中からウーロン茶に切り替えていたおかげで、二日酔いにはならずに済んだよ。
 とはいえ、なかなか起き上がれなくて、9時くらいまで布団でグダグダしていたわ。
 起きたあとは、洗濯やテレビチェックなど。
 昼頃、実家のお袋からケーブルテレビについての質問の電話。ケーブル局の職員がいたので、あれこれと話をして、結局はケーブルを入れることにした。ま、どのみちケーブルは入れざるを得ないからな。ちょうどいい頃だろう。
 午後からは、喫茶店に出かけてプロット作り。しかし、14時を過ぎて一通りできた時点で、なんか猛烈な眠気に襲われてしまって、14時半には作業を切り上げることにしたよ。やはり、疲労が抜けていなかったのかもしれない。
 今日の夕食時は、さすがに休肝日にした。夕べ、あれだけ飲んだら、さすがに今日は飲みたいと思わんし。晩酌が習慣になっているとはいえ、酒が欲しいときにはちゃんと身体が求めるし、いらないときには飲みたい欲求が湧いてこないのよ(^o^;
 それにしても、先週は慌ただしすぎてビデオチェックがしっちゃかめっちゃかになってしまったわ。そろそろ、自分が何を見ていて何を見ていないのか、把握できなくなりつつある。ま、このまま視聴を打ち切る作品を増やすのも、ある意味でいいかもしれんな。どうせ、視聴本数が多すぎると常々思っていたんだから。

2007年12月07日 金曜日
 昨日は、ホームページを更新する気力もなかった。
 とりあえず、一昨日の夜は実家で爆睡し、どうにか体力は回復。で、昨日は事務的な作業などでバタバタしていたよ。意外に、こまごまとした作業もあったし、お袋はあっちに電話をかけたり、電話を受けたりで大変だった。
 そんな感じで、俺も少しだけ暇な時間があったもののけっこう走り回っていた気がする。おかげで、ロケフリができるのにビデオチェックの時間がないという罠が。
 で、とりあえず実家であれこれやって夕飯を食べて、それから俺はアパートに戻った。これ以上、実家にいても俺のやることはなさそうだったし、さすがにあまりアパートを留守にするのもなんだったからな。
 帰宅したら、案の定、宅配便が1つ届いて不在通知が入っていた。まぁ、これはどーでもいいものだったが。
 しかし、さすがに実家から戻った時点で俺も疲労困憊って感じで、もうホームページの更新どころじゃなく、またビデオチェックもかろうじて1本だけしたものの、それ以上は視聴する気にもならなかった。
 そんなワケで、数日ぶりに自分の布団に入って爆睡……したのに、今朝、起きたのはいつもの7時半(^^; 目覚ましをセットしなかったのに、なんで起きちゃうんだ〜?(^o^;
 まぁ、目が覚めたものは仕方がないので、とりあえず午前中は溜まりに溜まっていたメールやネットのチェックに費やし、午後から1週間ぶりに喫茶店へ行っての作業に戻った。戯れ言を見てもらえれば分かる通り、今月は1日の卒検以降、親父の急逝やらなんやらで喫茶店に行くどころじゃなかったからな。12月から料金が上がるという話だったが、とにかくいくらになったかすら分からない有様だったわけだ(^^;
 で、おそるおそる値段を見たら、今までより10円上がっただけだった。うむ、これなら許容範囲だ。俺は、20円アップを予想していたから、10円だけなら問題は全くない。
 ってなことで、いつもの作業に戻って、普通に仕事をしていた。それに、ウォーキングもしたし。なんか、やっと日常が戻ってきたって感じ。
 ただね、明日もホームページを更新する余裕はないと思うんだな(^^; なんせ、体験入学も急に入ったし、そのあと大学時代の同期の連中と飲む約束があるから。昨年、同期会があったんだが、今回はそのときにいなかったメンバーが中心なので、非常に楽しみだったりする。なにしろ、普段よく会う2人を除いたら、大学卒業以来顔を合わせてない面々だからな。こっちとしても、人と話していた方が気分が紛れるから、親父が死んでもこの飲み会をキャンセルする気は毛頭なし。しかし、1週間遅かったら飲み会どころじゃなかったわなぁ。
 そんなワケで、明日もホームページの更新は休むだろう。今月は、ホントに出だしから慌ただしいわい。それも、仕事以外のことで(^^; 

2007年12月05日 水曜日
 夕べ、3時半に長兄と交代して布団に入った。しかし、当然のごとくぐっすりなど眠れるはずもなく、ほとんどウトウトしかしていない感じ。
 結局、7時半まで寝ているつもりだったのに、7時ちょっと過ぎに完全に覚醒してしまい、そのまま長兄に続いてシャワーを浴びた。親族控え室には、線香の番をする人間が泊まるための簡単な宿泊設備もあった。布団はもちろん、歯磨きにカミソリに石けん、そしてシャワーもあったんだわ。ありがたかったよ。シャワーを浴びたおかげで、睡眠不足なりに頭がそれなりにすっきりしたし。
 その後、長兄が握り飯を買ってきて簡単な朝食。それから30分くらい、ちょっと暇にしていたら甥と姪がやって来て、あとに続いて親族が続々と到着した。
 あとはもう、告別式まで打ち合わせとかいろいろあって、どんどん慌ただしくなっていったな。
 そして告別式。司会の進行は見事で、親父のプロフィール紹介も単純な昨日の繰り返しではなく、ちゃんと細かい部分に修正を加えていた。
 こうして、親父がかつて支部長をやっていた大学の同期会の現支部長の弔辞に続いて、俺も親父にお別れの挨拶。司会の人から「普段、話すような感じで」と言われていたので、「父ちゃん」と呼びかけ、文章を読むときなら通常は使わない「俺」という言い方もあえてして、お務めを果たした。事前には、途中で言葉がつまる危険も考えていたのだが、話し始めればそう感情に流されず、なんとか最後まで読み切ることができた。
 そのあとは、参列者の焼香などあって、出棺の儀に移って一般の人たちはそこで親父と最後のお別れをした。
 俺たち遺族と親族は、火葬場に移動をして親父を見送り、精進落しを食べながら話をしていた。もっとも、俺には甥っ子がベッタリくっついていて、ほとんど他の人と話はできなかったんだが。
 そうしている内に火葬が終了して、骨上げ。
 全員分が終わり、残りを火葬場の職員が骨壺に詰めて骨上げは終了。その後、また葬儀のあった会館に戻り散会という運びで、親父の葬儀はつつがなく終了した。
 もう、親父はどこにもいない。写真と俺たちの思い出の中に、その存在が残っているだけだ。
 なんか、まだ信じられない気持ちもあるんだがな。明日、目が覚めたら親父が相変わらず寡黙なままリビングにいて、マイペースに普段の生活を送るような気もしてならない。そんなことは、二度とないのだが。
 その後、実家に帰宅して30分も経たないうちに葬儀屋が来て葬儀の金額の話などして、明日から学校へ行くという甥や姪のために次兄一家は自分たちの家へと帰っていった。
 さすがにいささか疲労していたため、17時から18時近くまでの1時間くらい、俺は実家の元自室で布団の上に倒れこんで仮眠を取った。おかげで、少し回復した。
 また、長兄も自分の家に戻り、その後、俺はお袋と軽く事務処理の残りなどをしつつ、入浴なども済ませた。親父も青色申告をしていたから、そこらへんの事務処理の方法は俺ならある程度は分かる。それに、親父が残してくれていた帳簿のおかげで、諸々の区分けもおおよそ見当が付いたし。
 とはいえ、まだまだやることは山積している。明日には俺もアパートに戻るつもりではいるが、果たして帰れるのか確率は半々って感じだな。
 とにもかくにも、慌ただしかった通夜と葬儀が終わって、少しだけホッとした。 

2007年12月04日 火曜日
 授業。学校から直接実家へ行くことにしたので、かなりの大荷物を持っての出発となった。しかし、夕べの内に黒い革靴を用意しておいたのに、家を出るときうっかりいつもの靴を履いてしまったことに、電車に乗ってから気づいた罠(^^;
 また、授業でDVDを見せるとき、最初のDVDプレイヤーからの映像信号の出力がおかしく、もんのすごく赤みがかった画像になっていた。そのため、DVDプレイヤーを交換したのだが、こっちはこっちで途中で電源がやたらと落ちまくるというトラブルに見舞われてしまった。
 結局、最初のプレイヤーの設定を見直したところ、信号出力のタイプが違っていたことに気づいて、ようやく正常に視聴できるようになったが、無駄なことに時間を取られてしまったわ(-_-;
 とりあえず、授業が終わったあとすぐに学校をあとにして、そのまま実家へ直行。なんかさ〜、飯をゆっくり食っている時間もなかったから、キヨスクで握り飯を2個買って電車の中で食うのが精一杯だった。
 まぁ、早めに動いたおかげで、靴を実家近くの靴屋で買ってから、親父が実家から斎場に向かうのを見送れたのはよかったが。
 それにしても、やはり慣れないことをしているとミスが多く出てくるな。万全に備えたつもりだったのに、黒靴を忘れたのはもちろん、ベルトまで忘れる始末。ベルトは、親父のを拝借したけど。
 また、お袋がワイシャツ2枚必要だってうるさいから買いに行った(1枚しか持って行っていかなかった)が、実際のところいくら泊まるとはいえ、○1日中着ているわけじゃなし、まして真夏じゃないんだから1枚あれば充分だったんだよな。ただ、こっちもそういうことをその場で考える冷静な判断力を失っていたため、ワイシャツを探して外を若干走りまわる羽目になった。
 そんなこんなで、俺たちも斎場に移動し、式進行の打ち合わせなど慌ただしい時間を過ごして、いよいよ通夜。
 親父の知り合いなど多数の人が来訪し、故人との別れを惜しんでいた。遺族は、焼香時に焼香した人に頭を下げるわけだが、人数が多いと疲れてくる。それに、全然顔を知らないような人から声をかけられたりして、こちとら「????」ってな感じ。そら、ほとんど赤ん坊か幼児の頃に会っただけの人なんて、覚えているはずがない。
 それでも、遠方から駆けつけてくださった人も多かったようで、とてもありがたかったよ。
 通夜の参列者が一通り通夜振る舞いに行ったあとも、俺たち兄弟は誰かが斎場に残って新たに来る人に備えていた。まぁ、指揮の時間を過ぎてから顔を出したのは、二人だけだったが。
 そうして、親族で通夜振る舞いを食べていたのだが、ちょいと料理の数を多くしすぎて、かなり余ってしまった。あとから考えてみれば、通夜振る舞いを食わずに帰る人、一人前を食べない人もいるから、正直見込み人数より減らしてもよかったのかもしれない。
 その後、他の親族たちが引き上げ、次兄一家とお袋も引き上げて、俺と長兄で親父の線香の番をすることになった。とはいえ、23時近くまでは酒を飲みながらダベりつつ、明日の告別式でそれぞれに話す文面を考えていたのだが。
 いや〜、なんか親父に語りかける言葉ってのを言わなきゃならなくなってな。今日の通夜は次兄と甥姪に任せたが、明日の告別式では俺が人前で語らねばならなくなったのだ。アドリブ下手な俺としては、事前に文章を考えなくてはならん。また、長兄は長兄で今日と明日と参列者へのお礼の言葉を述べる大役を担っているため、やはり原稿を作らんとどうにもならんワケだ。
 まぁ、こういうときに曲がりなりにも物書きとしては、本領を発揮するっつーか、意外に脳細胞が働いて言葉がそれなりに出てきたりするわけだが。つーか、長々語るなら誰でもできるかもしれんが、コンパクトにまとめるのはけっこうムズいのだな。そこらへん、俺は生徒の文章も見ているし、それなりに慣れているんでね。特に長兄が文章に悩んでいるとき、アドバイスはお手の物であった(^^;
 また、長兄とネタが被る部分が複数あったため、そこを「じゃあ、俺のこれをこうする。こっちは削る」みたいに調整もできたのはよかったわ。
 そんな感じで23時を過ぎて、線香番の役を果たすべく、明日の起床時間などから逆算して長兄と時間を分担。んで、まずは長兄が睡眠を取って、交代で俺が寝ることになった。
 長兄が寝てしまうと、俺は一人。こうしてパソコンに向かって文章を作ったりしつつ、けっこう暇を持てあます。まぁ、プロットを書いたりして時間は潰せるし、ゲーム機も持ってきていたから、問題はなかったんだがな。
 あとの記述は、明日にするとしよう。

2007年12月03日 月曜日
 夕べは、なんだかんだで1時近くまで起きていたが、布団に入ってすぐに記憶が吹っ飛んだ。目が覚めたのは目覚し時計のアラームが鳴ってからなんで、まさに爆睡しとったわけだな。
 で、今日は授業なので学校に行き、いつも通りの顔をして生徒の前に立ったよ。
 短編小説を使った課題は今日が最後で、次回から新しい作品に取りかかる。とはいえ、今回の課題も現段階で出したのは数名にとどまっているんだよね。一応、今年いっぱいって感じで提出を促したものの、あと2〜3人出せばいいほうかなぁ?
 その後、新宿に出て医者へ行くついでにやっておこうと思っていたことがあったのだが、肝心の書類をものの見事に忘れていて断念。クッソー、ちゃんとディパックに入れたつもりだったのに忘れているとは。やはり平静に戻ったつもりでも、まだどこか精神面が不安定だから、こういうミスを犯すんだろうな。
 でもって、漢方医に行って薬をもらった直後、カラープリンタのインクが切れかけていることを思い出して、急いでヨドバシカメラへ行って購入。いや〜、新宿に出たら買おうと思っていたのを、すっかり忘れていたんだが、思い出してよかったよ。
 帰宅後は、諸々の準備をしつつビデオチェックを何本か済ませて、あとメールやネットのチェックも。
 明日は、親父の通夜だ。俺は遺体に付き添うことになるので、まず間違いなくホームページの更新どころじゃなくなるだろう。まさか、斎場でネットが使える可能性なんて、ほぼないと思うし。

2007年12月01日 土曜日〜2007年12月02日 日曜日
 想定外の事態、激動の日、天国から地獄とは、まさに昨日のことを言うのだろうな。とりあえず、時系列に沿って書いておこう。
 実は11月30日の夜から、俺は寝ていてもAT二輪の卒検のことを夢に見るくらい緊張していた。おかげで、1日も7時頃には目が覚めてしまう有様よ(^^; 正直、ちょっと寝不足だった。
 とはいえ、いつもの時間に昼食を取る時間的余裕がないため、朝飯を軽く済ませて早めに昼食をしっかり取ることで卒検に備えようと思った。
 でもって、出立の時間まではビデオチェックをしたりメールやネットのチェックをして過ごしたんだな。いつも通りの生活をすることで、緊張感を和らげようとしたんだがね。
 そうして早めの昼食後、教習所へ向かって卒検の時間の20分前に到着。時間の12時10分までは携帯電話でネットを軽くやったりして、卒検を受ける人間がカウンターに呼ばれた。
 今日、二輪の卒検を受けるのは、10人ちょうどだったかな? 簡単な注意事項を聞いて、二輪の待合室に移動し、プロテクターをつけたあとに試験官から減点についてなどの説明や今日の検定の順番など。2組のうち、俺は1組の5番目。つまり、1組目最後のアンカーだ。
 かくして、まずトップバッターの1組1番のMT二輪から検定開始。それを見ているだけで、心臓がドキドキしてきたぜ(^^;
 検定は順調に進み、傍目からはみんな順調に検定を突破しているように見えた。そうなると、やっぱり「自分だけ落ちたらどうしよう」というプレッシャーが増してしまうのだわ(^^;
 しかし、2組の3番目くらいの女性が、クランクでパイロンを倒し、踏切坂道でエンスト、さらに四輪コースでもノロノロ走行ということをやってしまい、傍目からも検定突破は絶望的な状況に。これで、自分が落ちても仲間が一人はできたと思って、少し気が楽になった。我ながら現金だな(^^;
 ちなみに、AT二輪での受検は俺ともう一人いて、そっちの人はなんだかんだ言いつつも順調に検定を終えた。
 そうして、俺の番。諸々、気をつけたつもりだったのだが、いきなりバックミラーの調整を忘れ、自分が緊張していることを実感したね。
 とりあえず、スラロームをぎりぎりでクリアし、いきなり最大の難関の一本橋。大きく息を吐き、一昨日の教習でようやく覚えた、足を後ろにやってバイクを挟むようにして走るという走行を開始。
 事前に試験官からも言われていたが、一本橋はヘタに秒数を稼ごうとするよりも突破することだけを考えた方がいいので、一応は速度をギリギリまで弱めて走行。おそらく、5秒か6秒程度だったと思うが、無事に一本橋を渡り終えた。
 そうして、クランクとS字を通り、踏切走行を行なってから急制動。ここも順調にクリアして、いよいよ四輪コースへ。そうして、四輪コースに出たとき、ハプニングが起きた。
 なんと、信号のところで2組の4番目の人のバイクに追いついてしまったのだ。こうなると、もう俺はコースを覚えているかどうかって問題ではなく、単にその人の後ろにくっついて走行するような状態になってしまったのよ。
 まぁ、後ろから見ているとその人はウィンカーの消し忘れとかけっこうあって、「大丈夫?」と心配になったのだが、ちゃんと卒業証明書をもらっていたので合格できたんだね。
 そんなワケで、俺も二輪車コースに戻ってバイクを所定の位置に止め、スタンドを立てて検定終了。
 あとは、教室でしばらく待機して結果の発表を待つばかりとなった。
 いささか待たされたが、案の定、あの女性だけは俺がワンセグで録画したビデオを見ている間にいなくなっていたので、落ちたことはすぐに分かった。彼女以外は、全員残っていたかな? 
 その後、試験官から検定時の注意事項を受けた。俺は案の定、一本橋の渡る速度、それに二点ほど後方確認の不備を指摘された。まぁ、具体的な点数は教えてもらえなかったが、全部5点ずつの減点と仮定しても85点、一本橋で10点減点されていても80点ってところか。
 ということで、俺も無事に検定を通ってめでたくAT二輪免許の資格を手に入れたワケだ\(^o^)/ あとは、運転免許試験場に行って新たにAT二輪に印の付いた免許を取得するのみ。
 にしても、卒業記念品が教習所の名前入りキーホルダーってどうよ? まずまず、使う可能性はゼロだと思うのだが(^^;;;
 それはともかくとして、単に証明書を受け取るだけではなく、ちょっとした細かな事務手続きみたいなのがあって、全部終わったのは14時半だった。
 この段階で携帯電話を確認していたら事情も違ったのだろうが、卒業証明書を手に入れてすっかり浮かれていた俺は、そのまま原付に乗ってアパートに戻り、今晩の祝杯のために肉を買いに出かけた(^^;;; もうね、この段階では幸せの絶頂って感じ。こんだけ喜んでいたのは、単独著書でデビューしたとき以来じゃないかってくらいの浮かれ具合だったと思うよ。
 そうして、買い物から帰宅したときに、ようやくお袋からメールや電話が何度か来ていたことに気づき、あわてて返信の電話をした。
 すると、「お父さんが危篤だ」とのこと。昨日の時点では、そう大したことがなかったはずなのだが、思いがけない事態の急変にこっちがビックリしたわ。
 とにかく、卒検に受かった幸せ気分はわずか1時間足らずの間に霧散し、俺はあわてて親父が入院している病院へと電車で向かった。
 戯れ言には書いていなかったが、実はうちの親父は6月に喉頭癌と食道癌を併発しているのが見つかり、がんセンターで放射線治療を受けていたのだ。治療自体はうまくいっていったんは退院したのだが、その後も食欲が回復せず、昨日になって自宅で倒れたためにがんセンターに運び込まれたワケ。昨日の戯れ言で、医療についてぶつくさ書いたのは、そういう事情があったのよ。
 が、昨日はまだけっこう元気だったらしい。なんでも、検査のあと最敬礼して医者に礼を言ったり、ベッドで数独をやったりしていたらしいからな。
 ところが、今日になって容体が急変。しかも、15時頃は甥っ子や姪っ子と話してちょっとふざけて見せたりするくらいだったのに、それからすぐに意識を失って一気に危篤状態になってしまったのだ。
 そんなワケで、とりあえず時間的に融通の利く俺が出張ることになり、病室でパソコンを使えることを確認した上で徹夜覚悟で出発。
 1時間ちょっとで病院に着いたとき、すでに長兄と次兄も病院に来ていた。この時点で、すでに親父はほぼ昏睡状態だったため、会話はできず。
 俺がついた直後、医師から状況の説明があった。なんでも、放射線に対するアレルギーが肺に出て肺炎みたいな症状が起き、それが爆発的な速度で広がってしまったらしい。医師曰く、放射線治療をすると、100人中5人程度の確率でそういうことが起きるようだ。確率としては低いが、親父は運悪くその5人の中に入ってしまったのである。
 また、肺にアレルギーが出てしまうと、現代医療ではステロイドみたいなものを投与するくらいしか方法がないらしい。それで薬が効けばいいが、効かないとアウト。ようは、蜂に二度刺されたときにまれに起きるアナフィラキシーショックみたいなものが肺で起きちゃっているから、現代医学ではできる治療にも限界があるのだ。
 とりあえず、親父が以前から尊厳死を望んでいたこともあり、無理な延命措置を行なわないことで俺たち一家の意思は統一。
 その後、いったん帰宅の途についていた義姉たちもUターンして病院に駆けつけたが、もう親父の意識が戻ることはなかった。しかし、耳もとで酒の話をすると脈拍や心拍数が上がったのは、もしかしたら意識がまだかろうじてでもあったからかもしれない。
 だが、しばらく小康状態が続いたものの、23時を過ぎた頃から呼吸がどんどんと浅くなり、0時半になる頃にはしばしば呼吸が止まるようになった。
 そんな状態が少し続いて午前1時、母と我々息子たち、さらにいったん自宅に引き上げたもののまた病院に戻ってきた義姉と甥と姪が見守る中、親父は静かに息を引き取った。
 放射線治療は、食事ができなくなる大きなデメリットを抱えていたが、それを選んだのは親父自身なので、その選択自体にあれこれ言うつもりはない。また、今回の症状も前述の通り起きるのは5パーセント程度の確率だったらしいんで、そこに入ってしまったのは運が悪かったとしか言えないだろう。ホントね、時間単位と言うより、分単位であっという間に症状が悪化していったからなぁ。
 ただ、今回の症状と関係はないことらしいが、医者がもっとしっかり患者(親父)の顔を見てくれていたら……という思いも、正直捨てきれない。せめて、大丈夫と思っていた患者の急な病状悪化を目の当たりにして、あの医者が心を入れ替えてくれたらいいと思う。
 しかし、親父も最後は幸せだっただろう。大好きな酒こそ口にできなかったが、目に入れても痛くないくらい可愛がっていた孫と死ぬ間際に話もできたし、妻と息子たち、さらには孫たちにまで見守られながら逝ったのだから。
 それに、何よりもほとんど苦しまず眠るように息を引き取ったので、看取った側としてもなんだか安心して……と言うのも変だが、「苦しまなくてよかった」という安堵に似た思いがあった。
 その後、葬儀業者の手配とか諸々の都合があって2時半まで病院で待機しつつ、親父の荷物の整理。さらに霊安室で焼香をしたあと、業者の車で親父は自宅に無言の帰宅をした。
 それに付き添って俺も実家に行った時点で、午前3時過ぎ。さすがに、いくら父親の死という事態に見舞われたとはいえ、徹夜を苦手としている俺にはこれ以上はいささかキツかったわ。
 とにかく、業者と通夜と葬儀の日程の予定だけ決めて、時間など詳細は夜が明けたあとでということになって、ひとまず俺も布団に入ることにした。
 しかし、1時間半くらいは寝たと思うが、あとはただ布団に横になっている状態で、眠いのに眠れやしないという状態。
 で、6時半くらいに伯母からかかってきた電話で、完全に覚醒しておきてしまった。伯母には心配をさせまいと親父の病気のことは伏せていたのだが、もはや隠していても仕方がないので父が永眠したことを伝えた。
 そうして起きてしまったものの、葬儀業者が来るまでは待機せざるを得ないので、その間に朝食やシャワーなどを済ませておいた。
 10時過ぎに葬儀屋が来たあとは、昼過ぎまで細かな打ち合わせなどをずっとしていて、食事をする暇もないくらいだったぜ。
 で、一通りの打ち合わせが終わって葬儀屋が引きあげ、俺ももう実家にいても仕方がなく、またアパートの近くに住んでいる伯母に諸々の報告もしなくてはならないため、実家をあとにした。明日と明後日は授業もあるし、通夜の日程的に授業をすることは可能なので、いっそやっちまうことにした次第。
 そんなワケで、アパートに戻って伯母に諸々の報告や連絡事項などをしていたのだが、話している最中にどうにも涙が出てきて言葉が途中で途切れたりしてさ。
 おまけに、電車内ではまったくなかったのだが、伯母と話していたときや、一人でいるときも突発的に涙が出てくることがあって、どうにも自分の感情をコントロールし切れない。親が死んだのだから、仕方ないとは思うけどな。それに、癌だと分かった時点で多少の覚悟はあったとはいえ、もうちょっと先のことだと思っていたから、あんまりにも急なことで心の整理がつききっていないのも事実。
 それでも悲しみに浸る余裕もなく、アパートに戻ると仕事絡みでメールを出したりあれこれと連絡を取ったり、なんだかんだで18時過ぎまでそれなりに慌ただしかったわ。
 あとは、通夜に備えてスーツの用意とかしつつ、ビデオチェックも何本か。アカン、これだけ慌ただしいと、ビデオチェックが追いつかんわ。いくらロケフリがあるとはいえ、根本的に見ている時間がないのでは話にもならん。
 それにしても、結局俺は親父に孫どころか嫁さん候補すら紹介できずじまいだった。そう考えると、なんだか親不孝なことをしたと思うね。ま、仕方がないけど。
 


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